新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

「我日本海の橋とならん」と中国での体験

 今日は別荘に行って明日から娘の所に行く予定でしたが、いろいろあって、明日別荘の畑を見て、娘のところへ行く予定に変更になりました。それで、これを書いています。
 
 今日も秋空で暑いくらいです。来週教会のバザーがあるので、ちょっと準備を手伝ってきました。30年近くバザーの手伝いをしています。よほどのことがないとバザーの手伝いを休むことはないのですが、今回はヨーロッパ旅行なのでお休みです。以前学校に勤務していた時は、バザーのお菓子などを他の先生に買っていただいていました。(ツマクマの手作りで好評でした。)
 
 さて、今日は教会の帰りに本屋さんに寄ると、タイトルに書いた本がありました。おじさんは、いろいろな中国論を読みましたが、後述するおじさんの体験から考えて彼の意見が最も真実に近いです。ただ中国論については、何を言っても拒否反応を示す人がいるので、余り政治に関心のある人が読まない、文学のカテゴリにしました。
 
 まず誤解が多い中国の情報統制について、おじさんの不思議な経験を書きます。それはおじさんのような、一介の外国人大学教師が、共産党幹部研修会に参加できたことです。それも、日本の外交専門家として著名な、岡本行夫氏の講演会です。
 
 主催は市共産党委員会です。おじさんの住む市は、中国でも有数の都市で、共産党の書記(中国では市長より書記の方が偉い)は国務大臣経験者です。日本の新聞や雑誌でも名前が登場する人です。そのレベルの党の研修会ですから、市政府の局長級が参加するものです。
 
 会場は市行政学院と聞きました。講演会と最初聞いていたので、多分市職員の研修所の大会議室のようなところでやるのだと思いました。ところが、行政学院というのは党学校だったのです。つまり共産党員の研修施設だったのです。驚いたのはその警備の厳重なことです。軍や警察の施設並みの警備の厳しさです。(行政学院は最近国から修士コースの設置を認められたようです。)
 
 招待してくれたのは、大学の国際交流学院の先生です。着いた時には、席は満員状態でした。党幹部でもないし、まして日本人なのですから後ろの方でそっと聞こうと思いました。ところが、驚いたことに同伴した先生は党学校の職員に堂々を渡りをつけて最前列の席を確保しました。おまけに、お茶を持ってくるように命じたのです。(紙コップには党学校のマークが入っていたので、記念に持って帰ろうかと思ったくらいです。)
 
 大阪市幹部兼自民党員研修会に、中国国務院総理補佐官を招き、そこに阪大の中国人の先生が出席するようなものです。日本であればまず考えられないでしょう。研修会の講師は日本の外交専門家として、また小泉政権の補佐官として活躍した人です。そのような人を幹部研修会に呼ぶ度量の大きさもすごいものです。
 
 研修会の後幹部が質問をしたりしていました。もちろん、これだけの大物講師ですから、総領事館の総領事も付き添っていました。通訳の女性も、とてもきれいな日本語で話していました。総領事やツマクマ、それに岡本氏と一緒に写真をとりました。もし、中国が全て情報統制の国(北朝鮮のように)であれば、こんなことは起こらないでしょう。
 
 以前ある方から、中国では外国人を訪ねる時は、必ず複数でしか駄目だと聞きました。しかし、おじさんがいた、3年間おじさんのマンションに堂々と学生さんが一人で訪ねてきました。入り口の警備員さんも、顔見知りになるとフリーパスで入れてくれるようになりました。
 
 旅行も中国人ツアーと一緒でもOKです。もちろん学生さんと一緒ですが。ツアーの間、一度もいやな(反日的態度や言動)を受けたことはありませんでした。ただ一度貴州省に行った時、乗り合わせて警察官が、一緒に行った学生に対して、おまえは中国人のくせに何で日本人のガイドなどするのだと言われたそうです。それで、学生さんは、自分の先生の案内をして何が悪いと言ったら黙りました。(中国は儒教国家ですから、先生の権威は絶大です。先生のお伴を学生がすることに非難は絶対できません。)もちろん直接私たちに何かしたりすることはありませんでした。
 
 警察官も一度バス停が分からないので聞いたら、バスの運転手に「この人たちは日本人なので、降りるバス停についたら教えてやってくれ」と頼みました。もちろん、中国語なので分からなかったのですが、偶然警官には話したバス停の手前の方がマンションに近いことが分かったので、降りようとする、運転手が「そこじゃない」と言っているようなので分かったのです。
 
 それから、前述した本にあるように、持家で少し働けば生きていける人は、昼間から麻雀やトランプをやっています。大通りで堂々とやっています。もちろん道行く人も気にしていません。人はそれぞれの生き方があると知っているからです。
 
 また、ある時は良く調べないで観光地にでかけたので、帰りのバスがなくなりました。そこで、観光地で一緒になった方の車に同乗させてもらいました。もちろんその時も大学院生の人と一緒です。何とその車は日産車でそれも大型車です。当時人気の車で日本でも200万とか300万とかするレベルです。
 
 持ち主のご夫婦は、地方病院のお医者さんご夫妻でした。整形外科医なのだそうです。日本の健康保険制度などについて質問していました。日本人ならどうでしょう。見も知らない大学の外国人教師夫妻と大学院生を車に乗せてくれるでしょうか。
 
 中国ではヒッチハイクは常識です。「帯路」というプレートをかかげて、何と高速道路の入り口に座っています。結構数います。ある時は、おじさんたちを乗せた車に同乗してきました。運転手の人は親しそうにその人と話していました。以前はヒッチハイクなどもみたのですが、今では日本でヒッチハイクなど見かけないようです。
 
 おじさんの以上の経験は加藤嘉一さんの経験と重なります。おじさんは今まで多くのことを書いてきたので、スタンスはおわかりだと思います。本当の中国の姿を知っていただくためには、是非前述した本を読んでみたらと思います。サンケイ新聞のやっているサイトでも紹介していました。
 
 明日から本当にブログはお休みです。