新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

解雇規制緩和について思う。

今日は朝から晴天で暖かくなりました。午後からは庭の雑草を抜いたり、洗車をしたりして過ごしました。また時々オープン戦の中継を見たりしています。

 昨日中国で教えていた学生さんが、大学院の試験に合格したとメールを送ってきてくれました。去年の9月に日本に来て研究生をしていました。半年の研究生生活で大学院に合格するのは至難の業なので、よく頑張ったと思います。特にこの学生さんの合格した大学院は旧帝大の一つです。この学生さんは直接卒論指導をしたのではないのですが、中国に来てすぐ親しくなりました。

 ご両親はともに大学の先生です。おじさんがこの学生さんの大学院研究生受験の推薦書を書いたりしました。おもしろいことに中国では第二専攻というのがあります。日本語学部に所属しながら、別の学部の勉強もできるのです。もちろん理系は無理です。多いのは経済と法律系です。

 この学生さんは法律系を勉強しました。このような第二専攻を勉強する学生さんも多いので、大学の授業は朝8時半から夜9時頃までやっています。極端な場合、朝8時半から夜9時まで授業を受けることも可能なのです。おまけに単位をきちんと修得して、卒業論文を提出すると、二つの学部の卒業証書をもらえるのです。

 ところで、この学生さんの専門は法律系と言っても労働法です。中国でも労働者の意識が高まり労働関係のトラブルも多いようです。賃金の不払いや不当解雇などです。中国でも弁護士がいます。律師と呼ばれます。個人事務所もあります。

 貧しくて弁護士(律師)を雇えない人たちのために公共律師制度もあります。大学構内の居住地区にも、この地区の公共律師は誰それですと掲示がなされていました。テレビの公共CMでも公共律師の活動についてやっていました。もちろん司法試験(司法考試)は中国でも難関なようです。

 さて今日は最近時々サイト(アゴラやブログなど)で見かける解雇の規制緩和について書きます。この場合の解雇の規制緩和というのは、現在正社員として働いている社員を経営者がある程度自由に解雇できるようにすることです。理由はたいして能力もないのに、正社員というだけで身分が守られ、高給をとっている者が多い。

 それらの社員を解雇して、若者を雇用すべきだというのです。あるいは、解雇規制を緩和して労働市場の風通しをよくすべきだというのです。これは公務員についても同じことが言えます。これは一見もっともに見えるのですが、多くの問題があります。まず誰を解雇するのかということになります。ご存じのように企業においても成果主義が一時ほど言われなくなりました。

 理由は誰が成果を評価するのか、またどのように評価すれば納得してもらえるのか、また評価をどのように使えば組織において有効かについて決定打がないのです。その理由の一つが評価者の問題です。上級者(課長や部長など)が全員優秀で公平な評価を下せるなら問題はありません。

 さらに上の経営層(役員など)についても同様なことが言えます。おじさんのような教師の経験でも、なぜこんな人が教頭や校長になれたのだろうと思う人がいました。多分このブログの読者の方でも職場の上司について同じような経験をしたことがあると思います。ある同窓会で企業に勤める教え子に、企業で出世するには何が必要かと聞くと、教え子は上司との相性ですと答えました。上司の部下に対する好き嫌いが全てですと言うのです。(以上はおじさんの個人的な体験なので普遍性は余りないかもしれませんが)

 次に、解雇を自由化して、労働市場を活発化させるべきだという意見もあります。この場合、能力のない人を解
雇して、そのあとに他所から優秀な社員を雇用すべきだという意見です。解雇を自由化したら労働市場は活発になるということが前提です。

 ところが、企業は能力がないと判断した人を解雇しても、人を雇用しようとしないでしょう。それは新採用についても同様です。つまり企業としては、できるだけ高給取りの多い日本での企業活動を抑制したはずです。企業としては、正社員が少なければすくないほど良いと考えていると思います。

 空いた穴は、今いる社員で埋めるか、アウトソーイング(外部発注)するか、非正規社員で埋めると思います。それに解雇された中高年の社員が新しい職場を見つけるのは難しいでしょう。なぜなら、能力がないから解雇されたと皆知っているからです。

 利益が出るのは企業側だけです。さらには、余りひどいこと(容赦なく解雇したり、能力はあるけれど上司に気にいられない人を解雇する)をすると有能な人も逃げていくでしょう。日本のような和をもって尊しとする文化では欧米や中国のようなドライな雇用関係は不向きだと思います。

 このように書くと、無能な中高年社員を野放しにするのかという声が出てきそうです。しかし、振り返ってみると、そのような主張するあなたはどれほど有能かということもできます。ある記事で読みましたが、自分は結構優秀であると思っていても、周りの人の評価はそれほどでもないことが多いそうです。

 おじさんも、若い頃は先輩の先生で、たいして仕事をしないのに年功序列で高給取りなのは許せないと思っていました。自分が中高年になって、結構がんばって仕事をしていると思ったのですが、上司も若手もさして評価してくれませんでした。

 今考えるとそんなものなのだということです。つまり今無能な中高年を非難している人も、自分が中高年になった時若者から無能あつかいされることになると思います。おじさんの38年間の教師生活で本当に有能な上司(校長・教頭)だと思ったのは数人です。後の上司は、別にその人でなく他の先生がやってもそれほど変わらないと思いました。

 確かに有能な上司はエリートコースの教育委員会事務局出身だったり、校長や教頭をやった後教育委員会事務局へ行きました。ただ、教育委員会事務局に行ったり、そこから現場に戻ってくるからと言って皆有能とは限らないのも事実ですが。

 事務局を本社に置き換えてみると企業の方も良く分かると思います。今日もまたとりとめのない話になってしまい申し訳ありません。明日は日曜日なので教会です。