新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

二人の直窮ーオウム逃亡犯をかばった女性に思う

 今日は結構晴れ間があったのですが、風もあって寒かったです。午後になってツマクマが買い物に行って帰りに足をくじいてしまいました。骨折などはなかったのですが、靭帯を痛めたようです。
 
 今週もいろいろ予定があったのですが、全てキャンセルになりました。今日は株価も少し上昇してうれしいです。と言ってもまだまだ大幅な損失です。上げ100日と言いますから、ぼちぼち待つしかないと思います。投資をやってない人にはどうでもいいことでしょう。
 
 さて、今日のタイトルは二つの部分に分かれています。このタイトルで書こうと思ったのは、最近起こった事件について法律的な面から極めて興味深かったからです。本当は後半に重点を置きたかったのですが、ブログの読者の中には、犯罪者に少しでも好意的だと不満を持つ人がいるので、それを防止するために複雑なタイトルにしたのです。
 
 そう言えば某弁護士出身の市長も凶悪犯罪の弁護士に懲戒を求めるようマスコミで訴えたことがあったような気がします。それでは、まず二人の直窮のことから書きます。ご存じの方もあると思いますが、これは論語に出ている話です。孔子に向かって葉公という人が次のように言いました。
 
 「私の村に正直者の窮(直窮)と言うものがいる。父が羊を盗んだ(この場合紛れ込んだ羊を自分のものとしたと言う意味だともいいます。)子供はこれを役所に訴えた」
 
 それに対して孔子は「自分の村にも正直者の窮(直窮)という者がいて、子は父のために(犯罪を)隠し、父は子のために(犯罪を)隠している。直きことその中にあり。(つまり正直というのその中にある。」と言うのです。
 
 実はこの考えは現在でも刑法の中に活かされています。おじさんはそのことを知っていて論語の授業でこの話がでるといつも刑法の話をします。今回のオウム逃亡者を支えていた女性のことと関連して書きたいのです。
 
 刑法105条では犯人蔵匿罪、証拠隠滅罪について、親族の場合はこの罪を免除するとされています。つまり親が逃げてきた子供を隠したり、子どもが親の犯した罪の証拠を隠しても罪に問わないということです。おじさんも法律学(主として行政法)を勉強しました。
 
 法は道徳の延長線上にあります。道徳は心がけで強制力はありませんが、法は道徳の延長線上にあって強制的に守らせなけらばならない部分に適応されます。ですから、親族同士がかばい合うということを否定することは道徳になじまないし、そこまでを要求することはできないと考えるのです。
 
 ところが、今回の逃走犯をかくまった女性は逮捕されました。この場合は妻ではないので逮捕されたのです。つまり、この女性は法律婚(婚姻届を出している。)だったら逮捕されることはありませんでした。
 
 じつは様々な刑法上の親族による免除規定の親族には内縁(事実根)の妻は含まれないのです。内縁の実態が複雑で線引きが引きにくいからなのだそうです。(ウッキーペデイアによる。)この女性の場合、逃亡犯を助けたのは愛情からだと言っています。それに18年近く同居しています。そうであっても、婚姻届を出していないので配偶者とは法的に認められません。
 
 ヨーロッパやアメリカの場合、どうなのだろうと思います。ヨーロッパでは事実婚法律婚も同様な権利を有していると聞きました。逃亡犯を助けた女性も逃亡中婚姻届を出せば逮捕されることもなかったでしょう。(もちろんそんなことをすれば捕まるので不可能ですが)
 
 相手を愛して、なんとか逃げ延びてほしいと願うのは法律婚の妻でも事実婚の妻でも同じだと思いました。ただこの女性については、警察も自首として認定しています。また逃亡を助けたのも愛情からだと述べています。ただ逃亡犯の罪が重いので裁判になった場合どのくらいの罪になるのかと思います。
 
 最高で懲役2年なのだそうですから、再犯の可能性もなく、動機も愛情からですし、自首もし反省もしているので、重くて懲役1年、裁判官の考えかた次第では執行猶予がつくかもしれません。ポイントは逃亡犯の罪が極めて思い点にあります。こちらに重点を置くと実刑になる可能性もあります。
 
 ただ愛情の有無より(愛情がなくても法律婚であれば無罪)手続きがポイントなる点が法律の難しいところだと思いました。明日は大学です。組織神学のレポート提出試験があります。