新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

教育と社会階層ー経験知と科学

 今日は肌寒い天気ですが、晴れています。明日は最低気温が0度になるようです。午前中は家の仕事を手伝って、午後からはネットでいろいろ記事を読んだり、これを書いたりしています。
 
 株価はさすがに下げに転じたようです。一時は値上がりしたのですが、やはりとりあえず売っておこうという投資家が多いようです。12月に株を購入した投資家の皆さんはとりあえず利益が出ているはずです。今週半ばから値上がりが始まれば、新春相場で節分まで行くかもしれません。
 
 株の世界では「節分天井」と言います。新年の期待から買われるが、メッキがはげるのが2月の初旬なのでこう呼ぶのです。まあ相場は良く単に言えばどう言ってもギャンブルの一種(理屈をどうつけても、やってみなければ分からない点があるので)なので当然でしょう。
 
 アメリカの大統領選挙候補者選びも難航しているようですね。(共和党の場合)当然だと思います。片やテイパーテイのような極端な保守派がいて、一方では無党派層にも食い込める候補を選らばなければならないからです。無党派を重視すれば、保守派の反発を買うし、逆でも同様のことがおこります。
 
 アメリカでも日本と同じように、支持層の分裂がみられるのです。さて、今日は教育と社会階層について書いてみます。中国の大学では日本語教師、公立学校教師時代は国語教師なのですが、大学院は教育行政が専門です。(厳密には大学院教育学研究科学校教育専攻教育行政・学校経営学研究室所属ということになります。)
 
 大学院では修士論文を書くのと一定の単位を修得しなければなりません。(2年間で確か32単位だったと思います。)その際教育社会学という科目を履修しました。先生は女性の方でとても優秀でした。現在は東京の某有名私立大学の教授です。(大学名は日本人であればだれでも知っています。)
 
 その授業では、生徒の成績と社会階層についての論文を勉強しました。おじさんは、その授業で、「先生この研究の結論は、教師なら誰でも知っていることです。それでも研究する意義があるのですか。」と今考えれば赤面するような馬鹿なことを言ってしまいました。
 
 すると先生は、「経験的に分かっていることを、調査研究で立証することが科学なのです。」と答えてくださいました。なるほどと感心したものです。その先生はおもしろい方で「レポート提出も試験もしません。授業での発言の回数と内容で評価を出します。出席しても何も発言しなければ、落第です。」とおっしゃいました。
 
 それを聞いたおじさんと、もう一人の県派遣の先生で発言しまくりました。先生は「○○さんと○○さんで、今日の点数は皆もって行かれますよ。」とおっしゃったのを覚えています。(○○はおじさんともう一人の先生です。)
 
 ところで、生徒の成績と社会階層の関連については山のように研究がなされています。結論はどの場合も同じです。もし違った結論が出れば、それは画期的な研究で、原因分析が妥当であれば、その論文だけで博士号が貰えるでしょう。
 
 皆さんもすぐにおわかりになるように、結論は「豊かな家庭の子供は成績優秀者が多く、貧しい家庭の子供は成績不振者が多い」ということです。その原因についてもほぼ結論がでています。教育論議をする場合、この点の認識が必要です。
 
 成績優秀者が生まれつきの遺伝だけだと、このような結論にはならないでしょう。もし遺伝だけなら、アインシュタインの子供さんは天才でなければなりません。ノーベル賞受賞者の子供は皆天才あるいは優秀者ということになるでしょう。しかし、現実にはそうなりません。
 
 そこで考えられるのが家庭環境や社会環境ということになります。社会環境(住まいのあるところの社会的環境・・地域社会など)について一番有名なのが孟母三遷の教えでしょう。(孟子の母が子供の教育環境の良い場所を探して3度引っ越ししたたとえ)あるいは「朱に交われば赤くなる」のたとえでもいいでしょう。
 
 問題は家庭環境です。これについても各種の研究がなされています。読者の皆さんはお忙しいので、いくつかの要素だけ書いて参考におきましょう。もちろん、様々な要素が絡み合って成績優秀者ができます。おじさんの子供たちでも、成績については様々でした。同じ親から生まれ、同じ家庭環境に育っても違いがあります。)
 
 まず家庭の文化的環境です。家庭で歴史や文学の話をしたり、親と子供でクイズ番組に解答したり、家に文学書や美術書などがあるか。例えば旅行をしていて、名所旧跡についての親が歴史的な興味を示すかなどです。子供が小さいときに童話などを読んだり昔話を話してやったりしたかなどもあります。
 
 次にロールモデル(役割モデル)があるかも大切です。周囲に勉強をした結果成功して尊敬される人物がいるかどうかも大きな影響を与えます。お父さんが会社で役職に付き、家に来た部下から尊敬されているのを見た子供はお父さんのようになろうと思います。また親が自分は勉強したからこの地位まで来れたのだと話たりして、勉強が人生において重要だということを子供に教えることができたかです。(意図的でなく何気ない会話でもいいです。)
 
 よく先生の子供は良くできる子供か全く勉強嫌いになるか両極端が多いというのは、前者は親が良いモデルとなったケースです。後者は、親の生き方に胡散臭さを感じて反発した例です。医者や研究者の子供さんの場合にも同様のことが言えます。(専門職の場合、後を継ぐか絶対その仕事にはつかないと反発するケースがお多いです。)
 
 もう一つは生活環境の問題です。よく言われるのは朝食を毎日きちんと食べる子供はそうでない子供より成績が優秀な場合が多いと言われます。これは朝食の栄養的な問題もありますが、同時に朝それだけの精神的にも時間的にも余裕のある家庭は十分家庭で学習を見てやれるのです。
 
 子供部屋の有無も同様です。子供部屋については、ある方が良いかそうでない方が良いかについて議論がありますが、そのような部屋を作る余裕のある家庭の経済力が問題になるのです。現代社会では経済力が成績と大きな関係があります。
 
 団塊の世代以前の方で、自分達の家庭は貧しかったが劣悪な環境でも成績優秀者が出たとお考えでしょう。だから経済は関係なく本人の自覚だと思われる方がいます。おじさんのような教育現場にいる者からすればそれは誤解なのです。
 
 全てが貧しかった時代、豊かな家庭と貧しい家庭の差は小さかったのです。ですから、当時は塾もなく予備校もなく、自分で勉強するかしかなかったのです。現代の塾や予備校の肩代わりを公立学校自身がやったのです。中学校では放課後補習や朝自習をし、高校でも朝も夕方も休み中も補習をしました。(これはおじさんの出た学校の実例です。)浪人すれば高校付属の予備校(補習科)がありました。
 
 そこでは、安いお金で勉強できました。それは全国ほとんど同じ状況だったのです。それに、公立中学、公立高校、国公立大学へと進学すれば、それほど親に負担をかけることもありませんでした。就職も高校卒業程度で結構あったし、地方大学を卒業しても就職先はありました。
 
 現在は国立大学と私立大学の授業料については昔のような差がありません。(昔に比べて国公立大学の授業料が高騰したのです。)公立学校が補習授業をすることについても批判があります。そうなれば公立学校が塾や予備校の肩代わりができず、経済的な負担ができるかどうかが、大きな影響を及ぼすことになります。
 
 それでは、経済的に厳しい状況の家庭の子供はどうすれば良いのか。実はそれが問題なのです。先日あったリーダー養成より、中退したり、学力不足で十分な学力をつけられず、正規社員にもなれず非正規のまま不安定な経済状況のまま中高年になっていく若者をどうするかが問題です。
 
 このままでは、日本の社会はピラミッド型の階層社会になりそうです。生徒が集まらない高等学校を廃校にしたり(全県1区にすれば、ますますそのような学校が出ます。)、やる気のない生徒を退学させたり、能力がないと評価された先生(おじさんの経験ではそのような先生の大部分は精神的な疾患の可能性が高いと思います。)を退職させるだけで解決しないような気がします。
 
 明日は新学期教える予定の学校への提出書類を書きます。