新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

徒然草と現代社会ー教訓から何を学ぶのかー

 今日は晴れ時々雪と言った状況です。午前中は件案の提出書類を完成させました。シラバス(年間授業計画)はすでに提出しているのですが、今回は毎月の授業内容と授業で学ばなければならない内容のチェックリストです。
 
 シラバスは現職時代でもありました。月割表とチェックリストは今回初めてです。月割表はただシラバスを月ごとに振り分けただけで簡単にできました。ただちょっとしたコメントが必要なのと字数制限があるのが面倒でした。チェックリストは全体が必ず理解する必要がある、70%以上が理解する必要がある、30%程度の理解があれば良いの3段階(A・B・C)評価です。
 
 例えば「文章中の語句の意味を理解させる。」だとAつまり全員理解が必要だとなるし、「漢文読解の仕方を理解する。」(返り点など)については、文系に進学する生徒は少ないので、Bつまり70%の生徒が理解できればよいということになります。30%程度では定期試験に合格できないので困ります。「詩の美しさを味わう」などは、工業系の生徒には難しいので、Cつまり30%程度が理解出来たらよいということになります。
 
 株はやはり先週上がった銘柄は下げに転じています。おじさんの持ち株もその通りです。まあ気長に株価が戻るのを待つしかありません。現在最大の危機はイラン問題ですが、日本としてはどうにもならないので、事態の推移を見守るしかありません。
 
 さて、今日は古典文学と現代社会についてちょっと書きます。手元に徒然草がないので、記憶に残っているものから書きます。現在の金融危機については、「高名の木のぼり」の話を思い出します。この話は、木のぼりの名人がいて、指図していた時のことです。木の上の危険な所では何も言わず、飛び降りることもできるくらいの高さになって、危ないから注意して降りよと言うのです。
 
 作者が理由を聞くと、誰が見ても危険な時は注意するが、このくらいなら大丈夫だろうと言う所になって、ケガをするものだというのです。今は世界中が注目しているから大きな危機にはなりにくいでしょう。しかし、まあ何とか行けそうだという時の方が怖いのです。
 
 日本の財政危機もそうです。世間がまだまだ大丈夫だと考えている時の方が怖いと思いました。仁和寺の法師の話も納得できます。石清水八幡宮をお参りした時、頂上に本宮があるのに、それを知らずに行かなかった話です。教訓は、「何事にも先達あらまほしき事なり」(ちょっとしたことでも指導者が必要だということです。)
 
 おじさんも、大学院に行って初めて本格的な論文の書き方や研究方法を学びました。それ以前も論文を書いたことがありましたが、所詮我流でした。友人のミヤジイも同じことを言っていました。今回の神学部での勉強もそうです。自分では読めなかった神学論文でも先生と一緒なら何とか少し理解できました。
 
 堀池の僧正の話もおもしろいです。ある高僧が、いろいろあだ名を付けられそれを嫌って、その原因を取り除こうとするのですが、そのこと自身が笑いの種になるのです。どんなに修行を積んでも、やはり人のうわさが気になるようです。
 
 作者が子供の頃、親に「仏様は何から生まれたのですか」と次々に質問して親を困らせた話しがあります。子供は物事の第一原因(この世はどのようにあるいは誰が作ったのか)ということを知りたがるのです。作者が理屈っぽ子供だということも分かっておもしろかったです。
 
 また、関東から来た恐ろしげな様子の武士が、(彼の発音は訛っていたと書いています。)作者に子供はいますかと質問したと書いています。いませんと答えると、それでは物の道理が分からないでしょう、子供がいてこそ物の道理が分かるものですとその武士が言ったそうです。
 
 当時のインテリ中のインテリ、和歌の歌人としても知られた作者が「どんな者でも一言良いことをいうものだ」と書いています。この武士の言葉はまさに現代にも通じる真理です。古典文学を読むとしばしば、時代を超えた真実に出会うものです。
 
 枕草子論語もなかなかおもしろい教訓があります。いつか又論語現代社会あるいは中国古典と現代社会について書いてみます。古典は高校生が読むより社会生活を送った大人が読む方がはるかに役に立つと思います。しかし、考えてみれば、大人は忙しいので高校時代に読んだ古典を思い出して読み直してもおもしろいでしょう。
 
 明日は木曜日からのミステリーツアの準備です。木曜日と金曜日はこのツアーに参加のためブログはお休みです。