新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

人は何から作られたのかークローン人間との関わり

今日は午前中は雨がひどかったのですが、(あられまで降りました。)午後からは晴天に戻りました。明日からは又晴れてきそうです。

 今日は日曜日なので教会です。午後からは長老会(役員会)がありました。とにかく朝から午後3時過ぎまで教会でした。ブログの読者の方は御存じのように、おじさんの興味関心は経済(株式や外貨など)又は政治です。

 ただし、それは月曜日から土曜日までの、この世での生活です。世俗の生活とも言えます。そんな世俗の生活だけでは人間がだめになると思うので、せめて日曜日だけは聖なる世界に生きています。今日は世界の根本に関することです。

 大人の礼拝はヨハネ福音書が継続して説教されていますが、子供向けの教会学校では新学期から創世記の連続説教が始まります。創世記はまさにこの世がどのように作られたのかという所から書き起こします。

 今日の教会学校の説教は人はどのようにして作られたかです。人間がどこから来るのかは古代からの謎です。あの有名な方丈記でも、「知らず生まれ死ぬる人いずかたより来たりて、いず方へか去る」とあります。つまり人間はどこから来てどこへ行くのか知らないという意味です。

  創世記では人間は土から作られたと言います。「主なる神は土(アダマ)の塵で人間(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。」(創世記2章7節)とあります。創世記は御存じのように一番最初に書かれた記事ではありません。イスラエルが建国されてずいぶんたって書かれたものです。

 しかし、これを書いた記者にとっては世界はどのようにしてできたのか、人間はどのようにしてできたのかという根源的な疑問があったと思います。そして彼等は彼らなりの世界観に基づいてこのような文章を残したのです。

 最も象徴的なのは、人間が土から作られた点ではありません。全ての根源は土だというギリシャの哲学者の考えがあるくらいですから、人間が土から作られたと考えても不思議はありません。原料が何かではなく、作られた土の人形に神が息を吹きかけられた時に生命が誕生したのです。

 この問題は最近下火になりましたが、クローン人間の問題と関わってきます。現在世界中でクローン人間の作製が禁止されていると思います。このクローン人間こそが、神の息を吹きかけられることなく、土から作られたまま生きて行く人間ということになります。

  もしクローン人間が作られたとしたら、その人間はどのようなアイデンテテイを持つのでしょうか。自分には父も母もいない、まさに無から生まれたことになります。そうして生まれたクローン人間が増加すれば人間社会は深刻な問題をはらむことになるでしょう。

 聖書的に言えば神の息を吹きかれた自然に生まれた人間と神の息を吹きかけられず土から作られたまま生きているクローン人間が存在するのです。人間が人工的に生みだしたクローン人間はそもそも人間として認められるのかと言う問題もあります。

 ここら先は生命倫理の問題になるでしょう。今はクローン人間は作製されていませんが、密かに作製される可能性もあります。科学の進歩は人間の存在自身を脅かす可能性もあります。おじさんは高校で教えている時医療系の小論文指導をしていました。

 その際よく生命倫理を取り上げました。尊厳死の問題や出生前診断などです。どの問題も極めて難しい問題を含んでいました。いつかまた生命倫理をめぐるテーマについてブログで書きます。おじさんの考えでは少なくとも生命倫理を考える際に宗教的な知識が必要だと思います。

 明日はのんびり過ごします。