新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

大学入試思い出すこと

今日は晴天でした。午前中は少雨だったのですが、午後からすっかり晴れてきました。午前中は試験問題を少し作りました。

 試験問題は一度に作ると大変なので少しずつやっているのです。午後は読書をしたりして過ごしました。今読んでいるのはアメリカのリーマンショックを題材とした小説です。(「グリード」という書名です。)

 さていろいろ書きたい話題が多いのですが、取りあえず教育ネタにします。今日はセンター試験の一日目です。それで大学入試の思い出について書きます。

 おじさん自身の大学入試は昭和41年のことです。当時はセンター試験などなく、個別の大学入試でした。一期校と二期校に分かれていました。一期校を受けて不合格だったので、二期校は受験しませんでした。国立大学は文学部の歴史学科を狙っていました。

 歴史が好きだったからです。将来社会科の先生になろうと思っていたのです。一方私立は経済学部を狙っていました。3校受けて結局1校だけ合格しました。ミッション系の大学で、そこそこおしゃれな大学でした。

 入学金も払ってその大学に行く予定でした。親もその大学なら問題ないので勧めていました。おじさんの地方では一番の私立大学だったのです。今でも地元の高校生に人気があります。

 このまま行ったらおじさんは教師でなくサラリーマンになっていたと思います。サラリーマンになるとしたら、父親の勤務していた鉄鋼メーカーの関連会社に行った可能性が高いです。兄二人もそうだったからです。もしかしたら、公務員になっていたかもしれません。

 弟は私立の経済を出て国家公務員の中級職になりました。(厳密には防衛庁中級試験行政)そうは言っても弟が公務員になったのもおじさんが教師になったのを見たからです。

 なぜ教師それも国語教師になったのでしょうか。経済学部に決まった後、偶然ある公立大学に新設学部ができることになったのです。そして認可が遅れたので全ての入試が終わった後に入試が行われることになったのです。(当時三期校と呼んでいました。)

 その公立大学は本来二期校と同じ日程だったのです。それで半分冷やかしで受けてみました。私立文系と同じで英国社の三科目でした。その公立大学はもともと外国語大学として作られたので英語が難しいことで有名でした。国語と社会が終わった段階で70%以上得点した自信があったので合格だと思いました。

 普通65%くらい得点できたら合格するのです。これは今でも同様です。ところが英語の試験を見てショックを受けました。全然分からないのです。多分45%くらいしかできなかったと思います。

 まあ半分冷やかしなので良いかと思っていたら合格しました。当時は合格発表をラジオで放送していました。とんでもない時間に発表があるのです。(深夜)それでラジオを聞いているうちに眠くなって聞きそびれてしまいました。

 また合格者名を新聞にも掲載していました。(何と当時は公立高校入試の合格者も新聞に掲載していました。)何気なく新聞を見ていると何と自分の名前があるのです。そしてばたばたその大学に進学することにしたのです。

 まもなく学部創設40年になります。一期生や二期生の中から公立高校の校長になるものもでました。大学の教授になったものもいます。さまざまな人生を皆歩みました。

 運命とは不思議なものです。高校時代まさか国語の先生になるとは思いもしませんでした。その後中国の大学で教えたり、専門学校で教えたりとまたまた不思議な運命を歩みました。

 人生とは謎に満ちたものですね。明日は教会です。