新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

少子社会についてーいくつかの言葉から

今日は一日雨が降ったりやんだりでした。今日は午前中は散髪に行き午後からは義弟夫婦が来ました。そんなこんなで一日終わりです。散髪は近くのチェンー店です。

 カットだけなら1000円です。そう言えば中国に居た時大学構内の散髪屋さんに行っていました。全然中国語がおじさんは話せないのですが、黙って座るとカットしてくれて洗髪してくれて10元(160円くらい)でした。日本の100円が中国の1元くらいの感覚です。

 ですから10元だと1000円の感覚です。なるほどどこの国でも同じくらいの値段だと思いました。もちろん市内の繁華街だと30元から60元はします。先ほどの感覚だと3000円から6000円と言ったところです。

 今日も株式相場は上昇していました。日経平均15000円を少し超えたようです。国際情勢の安定化が材料でしょう。国際情勢が安定すると安全貨幣の円が売られる傾向にあります。

 取りあえずウクライナ情勢は落ち着いたようです。タイ情勢も軍のクーデターで落ちついています。エジプトも軍出身の大統領が当選しました。長期的にはこのままで終わるとは思えませんが取りあえずは落ち着いたようです。

 さて今日の新聞に保育園の建設に反対する記事がでていました。そこで今日はなぜ少子社会になるのかいくつかの言葉から考えてみました。

 一つは「恒産なければ恒心なし」です。日本のような儒教社会では結婚しないで子供を作ることに厳しい規制があります。結婚して子供ができた後離婚してもそれほど偏見はありません。それでもなぜ子供のために我慢しなかったのかという非難はあります。

 しかし、結婚もしないでこともを作ることは極端に嫌われます。それで子供ができるとそれをきっかけに結婚することが多いのです。

 さて前述した言葉です。安定した産(職業・収入などの意味)がなければ安定した心は得られないということです。つまり古代の人も収入や職業が安定しなければ安定した気持ちにならないと言っているのです。

 以前は相当貧しい暮らしをしていても結婚できました。それは結婚することで豊かになる可能性があったのです。「一人扶持は食えないが二人扶持なら食べられる」という言葉もありました。

 一人だと難しいが二人だと一緒に働いて何とかなるという言葉です。この場合二人で働くことが結婚の前提です。今の時代のように専業主婦願望だととても無理です。また現代ですと結婚しない女性が多いのですが、以前は結婚して家をでるしか自由になれなかった時代もあったのです。

 また口減らしの意味もありました。男性もそれほど豊かさが求められませんでした。よく食えない芸術家や作家が結婚するケースが歴史に登場してきます。現代ならまず結婚できなかったと思います。

 そう言えば「手鍋下げても」という言葉もありました。これも自ら苦労を承知で結婚する意味です。結婚は今はないけれど将来楽しいことがあると言うのでしていたようです。

 現在では将来幸福になる可能性があるかという質問にNOという答えが一番多かったのが日本だと報道されていました。極限に近いところまで豊になった日本ではこれから下り坂しかないと考えているのでしょう。

 非正規社員や低賃金で働く労働者、特に資格もなくアルバイトなどをしている女性などは現代社会では結婚は難しいでしょう。

 さて幸いなことに結婚で来て子供が生まれても日本は子供にやさしい社会ではありません。昔は「子供は国の宝」とも「子宝」ともいいました。

 子供は宝物だったのです。ところが今は子供は社会からは邪魔者扱いです。もし本当に子供が宝ならそれにふさわしい扱いを社会がするはずです。

 本当に宝物であるなら皆大事にするでしょう。粗末にダイヤモンドなどの宝石を扱う人はいません。またダイヤモンドで着飾っている人をうらやましく思うでしょう。ホテルなどならそんな着飾った人に大サービスをします。

 ところが子供はそうではありません。マンションなどなら夜中に子供が泣いたらうるさいと怒鳴りこまれそうです。おじさんの家の下に新しく小規模団地ができました。

 そこに生まれて赤ちゃんが良く泣きます。おじさんは孫もいますから平気ですが、うるさいと感じる人もいるでしょう。それに電車の中でベビーカーを持ちこむことについて論争がありました。

 あるお店では小さな子供をつれたお客さんはお断りしますと張り紙がありました。とても「子供は国の宝」扱いではありません。少子社会はますます子供を産みにくくしています。

 団塊の時代子供が社会にあふれていました。今1歳から5歳までの子供の数と団塊の世代の子供の数では2倍以上の違いがあります。どの家にも3人から5人くらい子供がいました。

 公園には子供があふれ親が呼びにくるまで皆で遊んでいました。弟や妹の面倒を見ている子供も大勢いました。子供のいる風景が普通だったのです。

 今はおじさんの住む地域でも本当に子供が少ないです。小学校の校庭くらいの広さの公園に子供の数は10人くらいです。誰もいない公園の方が普通です。

 安倍さんは何とか子供の数を増やそうとしていますが、笛吹けども踊らずです。経済的支援も必要ですが、それ以上に安定した職を創設し、子供を預ける保育園や学童保育施設を整備し、国が音頭をとって子供優先社会を提唱しなければ少子化は止まらないでしょう。

 それに働く母親の残業を免除する法律を作るくらいの覚悟が必要です。そんなにしても子供が増え始めるのは随分先のことです。集団的自衛権をごり押しして世界中で戦争に参加するなら、子供を作っても戦争で死なせるだけだと親は思って子供を作らなくなります。

 最後に杜甫の兵車行に「ついに男を生むのを重んじなくて女を生むのを重んじるようになった。女を産むなら近くに嫁として出すことができるからだ。」と言う一節があります。皇帝が戦争をやめないと男尊女卑の古代中国でも子供を産むことを考えるようになるのです。

 明日はツマクマの所用のお手伝いです。