注目すべき判決が出ました。-統治行為論からの脱却
昨日注目すべき決定が出ました。高浜原発の即時差し止めの仮処分決定です。福井地裁で出た決定です。統治行為論は統治行為(政治を行うこと)については行政が責任を持って行うべきで裁判所の判断に馴染まないという考え方です。
司法と行政は互いに相手を尊重するという考えです。戦前では裁判所は政府の一機関だったのです。そのため政治がからむ問題については政府の方針を支持するものでした。
ですから地裁レベルで違憲判決など考えもつかないものでした。ところが最近は裁判所とくに個別の裁判官が自分の考えで判決を下しているようです。
福井地裁の判断から離れますが、長崎の干拓地の開門をめぐる問題でも別々の判断が出ています。ある裁判所は開門すべきとし、別の裁判所は開門すべきでないという判決がでています。
また同時に裁判所の命令に従わない場合は制裁金を国に出すよう求めています。最近の判断では制裁金の額がさらにアップしたようです。
問題解決の方向が見えない中、国は果てしなくお金を払い続けているようです。以前なら裁判所が国に制裁金を払うよう命じることなどありえませんでした。この制裁金に課税するという国税庁の見解も出されています。
今回は原発の再稼働の差し止め請求を認める判断です。即時差し止めの仮処分が決定すると関電は再稼働することができません。
裁判長となっていますので、複数の判事による合議で判断が下されたのでしょう。またこの裁判官は異動が確定していながらこの判断を下しています。
ブログなどでは左遷されたと書いていますが、最高裁の事務局もそれを気にしたのか、異動した後もこの判断に兼務の形で加わらせています。
福井地裁から名古屋家裁ですから、一概に左遷とは言えないでしょう。再稼働推進派の人にはショックだったと思います。別の裁判官だったら別の判断だったかもしれません。
同じ事案であっても裁判官の考え方で違ってきます。裁判法を勉強した方はお分かりになると思いますが、所謂裁判官の自由心証主義です。
これが徹底しているからこそ、長崎の開門判断のような全く反対の判決が出るのです。最高裁と言えども開門するかしないかについて判断を下すことはできません。
よほど判決に間違い(瑕疵)がないかぎり最高裁は地裁レベルの判決を覆すことはありません。もちろん関電は仮処分取り消しの訴えを起こすでしょう。それについて地裁レベルで判断がなされ、それに不満なら高裁レベルへと進むはずです。
地裁レベルでどのような審議がなされるか不明です。形式についての審議なら、先の判断に形式的な問題はないはずですから、仮処分は続行ということになります。実質審議ということになれば、仮処分取り消しの判断がでる可能性もあります。
地裁レベルの審議のどの程度時間がかかるか分かりませんが、決定が出るまでどうしようもありません。最近裁判官の考え方が変わったのか独自の判断がでることが多くなりました。
従来通りだと小法廷なので、何らかの判断を下すことは間違いありません。この判断も注目すべきものです。