新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

中国の大学の思い出(2) おじさん露天商になるの巻

 今日も相場は小動きなので、今日まで中国の思い出について書きます。偶然今日、日本の大学院の博士課程の3年になっている中国時代の教え子から電話がありました。

 今博士論文を書くのに大変なようです。昨日は博士論文の関する予備審査があったようです。博士論文を書く前に指導教官以外の審査員から事前に指導を受けるのです。

 かなり指摘があって、指摘をどう論文に生かすのか今考えているのだそうです。おじさんが大学院に行っているとき、これから博士号を取るという先生がいました。博士号を取るためには精査論文を掲載する雑誌に3本論文を掲載してもらわなければならないとのことでした。

 精査論文というのは、事前に論文審査委員がいて、その人たちがOKしたものだけ掲載されるのです。OKが出た後でも書き直しを何度もさせられるのです。教え子はなかなか精査論文に取り上げてもらえないようです。

 外国人留学生だからといって論文審査員が容赦してくれるはずもありません。日本人の院生などと対等に戦わなければならないのです。掲載論文の質が落ちるとその雑誌なりの地位が下がりますので、手を抜いたりできないのです。

 ちなみに教え子は日本思想史が専門です。日本人でさえ日本思想史など難しいのに中国人それも四川省の田舎から出てきた教え子には大変だろうと思います。ちなみに彼女は村が始まって以来最初の国立大学に進学した女性なのだそうです。

 さて、ちょうど3年半くらい前おじさんたちは帰国する準備をしていました。中国の大学生は貧しい学生が多いので、卒業する前に校内で持ち物を売るのです。

 食堂や売店のあるところで店を開いて売っていました。おじさんたちも来て次の年それを見ました。荷物を日本にもって帰るとなると大変な運賃がかかるので、おじさんたちも道端で売ることにしました。

 学生さんたちが店開きを始めたので官舎から荷物をボストンに入れて店開きしました。学生さんは多いのですが大人で店開きをするのはまれです。

 まず売れるのか心配でした。何を売ったのかと言うと中心は衣類に食器、雑貨などです。最初はいぶかしげな顔で商品を見ていましたが、良い物だと分かると猛烈な勢いで売れ始めました。

 ところが警備員が来て猛烈に文句を言いだしました。どうもよそから来て商売をしていると思われたようです。もし、大学に通告されて、学部の先生に迷惑がかかってはと思って、店を閉じようとしたら、隣の学生さんが、一緒にしようと申し出てくれました。

 その学生さんの広げているシートとくっつけただけなのですが。すると今度は警備員は何も言いませんでした。もちろん中国語が話せないので、学生さんには英語で話しかけたのです。

 中国でおじさんくらいの年の人が英語を話したらそれは大変なことです。インテリ以外にありえないので、すぐ信じてくれました。実はおじさんくらの年の人は文化大革命で一切欧米文化を禁止されていたのです。

 一旦品物の内容が良いとなると猛烈に売れ出しました。食器セットは100元(1900円くらい)で買ってくれました。中国では100元札が最高額の紙幣ですから、日本で言えば1万円で食器全てを買ったようなものです。

 その後別の学生さんにその話をすると、先生たぶんその人は別の人にもっと高く売るのですよといいました。次の日は懲りたので知り合いの学生さんについてきてもらいました。

 つくと、昨日以上に大勢の人が集まって、ボストンバックらか出すやいなや奪うようにして買っていきました。余りの勢いに学生さんが、いい加減にしろ(たぶんそうだと思います。)と大声で怒鳴りました。

 買い物に来ていたのは学生さんではなく大人なのです。さすが中国の大学生は肝がすわっていると思いました。大人の買い物客はしゅんとなって、騒ぎは収まりました。

 買い物客は職住一体の大学職員の家族や何か安い物はないか来た町の人です。売る物がなくなるとボストンバッグを売らないかなどと言って来ました。さすがにそれはお断りしました。

 結局売りあげは2日で1000元(19000円くらい)になりました。当時の大学生の初任給が地方だと2000元くらいです。おじさんの最後の給与が6400元でした。1月分の給与の約6分の1ですから、それなりの金額です。

 100元が1万円とすると1000元は10万円の感覚です。日本人だし一応大学の先生なので駆け引きなど一切なしで、ほぼ相手のいい値で売ってそれだけの利益が出ました。

 得難い経験だったと思います。もちろん他の日本人の先生や欧米の先生はそんなことはしません。中国人の先生はプライドが高いのでましてしません。その場にいた学生さんにも奇妙な先生だなと思われたと思います。

 これも思い出つくりとツマクマと二人でやったのです。今日で中国の思い出話を終わりです。明日は来週の相場展開について書くつもりです。