中国の大学での思い出ー卒業の時期です。
今日は相場(株式・外貨)も大きな動きもないので、中国の話題です。中国に行ったのは今から7年前のことです。高校を退職した年の8月に行きました。
中国に行くようになった次第についてはまた書きます。中国西南部長江流域の某都市の国立大学に赴任しました。中国で国立大学というのは、中国教育部(教育省)直轄の大学です。
それ以外は公立大学ということになります。おじさんが赴任したのは結構大きな総合大学でした。元々は理系の大学で、日本語学部は創設10年目くらいでした。そこで日本語・日本文学を教えました。
本題に入りますが、中国の大学は今卒業の季節です。欧米の大学同様6月に卒業して9月に新学期です。在校生は7月まで学期末試験があります。
卒業するには卒業論文を書かねばなりません。大学の先生によれば卒論を出さなくても卒業できますが、学位がもらえないようです。また単位不足の場合も同様です。そういえば、赴任してすぐの年卒業生がおじさんの科目の試験を受けさせてほしいと来ました。
おじさんには何のことか分からなかったのですが、監督の先生が認めたので受験させました。講義を聞かずに受験するのはさすがに無謀で点数不足でした。
卒業論文はおじさんたち日本人教師も担当します。中国人教師より多く持たされました。赴任したすぐの年は4人でしたが、その後6人担当しました。(募集定員が増えたのです。)
審査長は中国人の先生で各グループに一人ずつ日本人の先生が入りました。グループ内で成績を付けます。秀は90点以上でグループで一人か二人です。ちなみにグループで10人の卒業論文を審査します。
優は80点以上良は70点以上可は60点以上です。60点以下だと書き直しです。おじさんが担当するメンバーは学部長の先生が決めます。○○先生の指導が受けたいと言うことは許されません。
おじさんも誰が来るか決定まで分かりません。どうも日本人の先生には優秀な学生とどうにもならない学生両方を必ず入れていたようです。優秀な学生を入れるのは留学したり進学したりするとき卒業論文の提出があるからだと思います。(細かい表現などは日本人の先生の指導の方が優れているようです。)
どうにもならない学生は自分たちが指導したくないからでしょう。おじさんは日本人のメンツにかけて自分の指導学生から秀を出したいと思いました。幸い3年間毎回秀の学生さんを出せて良かったです。
指導学生から毎年大学院に進学する学生さんが出ました。最初の学生さんは自校の大学院に、次の年の学生さんは日本の国立大学大学院に行きました。今そこの博士課程にいます。
最後の年の学生さんは北京のトップレベルの大学院に進学しました。恒例として卒論審査が終わったら指導学生さんが宴会を開いてくれます。
カレッジ(単科大学 学院)が集まってユニバーシティ(総合大学)になる感じです。卒業式では学生さんはガウンに角帽です。印象的だったのは、学院長(学部長)が角帽の房を右から左に動かすことです。
おじさんの時代は角帽などかぶる卒業式ではなかたのでとても印象的でした。学部長の方は女性でとてもきれいな英語を話されます。英語がきれいなだけでなく中国語の発音もきれいでした。
外国語学院全体の宴会もありました。レストランを借り切ってやります。まあ学生の数が多いのでそれほど高級なところではありません。
卒業式は学院ごとに日にちが違うので、貸衣装やさんが、ガウンや角帽を使いマワシしているようです。日本の卒業式とは違っていました。
今日は思い出話です。