新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

「殿利息でござる」を見てきました。

 今日は映画を見に行きました。久しぶりの邦画です。最近は予告編を見て何を見に行くか決めています。前は「ズートピア」を見に行きました。

 これもなかなか象徴的な部分もあって面白かったです。人間の偏見について描いている部分もありました。子供が見ても楽しいし大人が見てもなるほどと思わせるところがあります。

 邦画は、最近ではトルコの軍艦が遭難した事件を扱った「海難」を見ました。今日行った「殿利息でござる」も「海難」に共通するところがありました。

 もともとこの映画の原作は「無私の日本人」と言う文庫本なのです。この文庫本には今回の映画以外の日本人の姿が描かれています。

 今日は月曜日なのですが、結構お客さんが来ていました。これまで見に行った中では一番多かった気がします。もちろん大半はシニアの方です。

 ご夫婦で来られている人も結構いました。おじさんも以前ツマクマと「超特急参勤交代」を見に行ったことがあります。その続編ができるようです。予告編でやっていました。

 今回見に行った映画は仙台藩の話です。寂れつつある宿場町を町の有力者が大金を出資して仙台藩に貸し付けて利息を取り、それで町を立て直すという話です。そこにはさまざまな人々の思惑が交錯するのです。

 ただ発想としておもしろいのは、質素倹約とか殖産興業ではなく、藩にお金を貸して利息を取るというやり方をしたところです。

 江戸時代は身分制度が厳しかったので、農民が直接藩に申し入れをしたりはできなかったのです。町有力者はまず肝いり(庄屋)から大肝いり(大庄屋)代官そして初めて勘定方へとつながるのです。

 どの時代またどの国でも財政関係の官僚は組織で一番優秀な人がなります。逆にいい加減な人を財政関係の官僚にしたらあっと言う間にその組織は破綻してしまいます。

 舞台は仙台藩ですが、やはり財政関係の官僚は優秀でした。石田三成を思わせる優秀であり同時に厳しい一面をもっているのです。

 代官レベルで協力者が現れ、最後まで難色を示した財政関係の官僚を説得するのです。これが成功したのは無私の精神から出た行いだったからでしょう。

 そこにわずかでも利が見えたらどこかの段階で失敗したと思います。至誠天に通ずとも言います。論語では「至誠にしてかわらざるもの未だこれあらざるなり」と言います。

 誠を至してかわらなかった者はいないという意味です。一番大きかったのは実務系官僚を動かしたことです。以前国の政策は係長がカギだと言われました。

 県レベルですと主査と言ったところです。上に行けばいくほど、忙しいので下のいうことを通します。実務官僚を動かせばすべてが動きだすのです。今回では直接代官と交渉できる大肝いりを仲間に付けたことです。

 この大肝いりしか代官と交渉できないのです。また次の藩官僚の実務者である代官が協力してくれたことも大きいです。藩の上層部と言えども現場指揮官の代官の言うことを無視できません。

 この代官レベルが本気で申し入れれば取りあえずは提案をそじょうに乗せることができるのです。逆に官僚組織は一度決めたことを簡単に変えることはできません。

 一度決定までこぎつければ、後は先例主義がうまく動いてくれるのです。今回でいえば先例となった宿場に利息を払うということが長期間続くことになるのです。

 今回の映画の原作となった話は宿場町の寺の住職が細かく記録したことが元になったようです。無私の日本人が江戸時代にも明治期にもいたことは誇らしいことです。

 残念ながら新自由主義は儲けるためには何でもありの世界です。なかなか自らの財産をなげうってでも町を救う有力者は出てこないようです。大代官に相当する都知事があんなではとても無私を期待するのは無理なようです。

 明日から木曜日まで3日間忙しいです。取りあえず明日は午前中授業です。