神奈川の大量殺人事件に思うー誰でも障害者になりうる
ちょっと遅くなりましたが、先日の障害者施設の大量殺人事件について書きます。今回の事件の特徴は被害者が戦後最大であったことと、加害者が当該施設の元職員だったことです。
加害者の言い分は障害者には生きている資格がないと言うものです。このような事件を生んだ背景にはやはり新自由主義の流があると思います。
新自由主義は文字通りできるだけ何でも自由にやらせると言うものです。一番象徴的なのが経済です。自由に仕事をしてよいと言うのは確かに良いことですが、当然そこには競争に落ちこぼれているこものが出ます。
競争に敗れ落ちこぼれた者は、自分のアイデンティティーを守るために外に敵を作るか、自分より弱い者を見つけるかです。
外に敵を作る政策は世界中にあります。ヘイトスピチはその典型です。自分が日本人であるだけで、東アジアの国民を下に見ることができるのです。
自分がどんな人間でどんな性格なのか、また能力なのかは無関係です。ただ、自分が日本人であるというだけで優位に立っているのです。ヘイトスピしている相手がどんな良い人であってもダメなのでs。
存在すること自身許せないのです。今回の大量殺人にも通ずるところがあります。自分は健常者であり、相手は重度の障害者である。
それだけで加害者は優位に立てると思ったのです。被害にあった障害者がどれだけ家族に愛され、個人としても良い物を持っていても関係ないのです。
排除の論理は個別の事情を加味しません。ある存在であること自身が罪なのです。この加害者は自分が障害者になる可能性を考えたことがあるのでしょうか。
今健常者であっても、交通事故で寝たきりになるかもしれません。あるいは病気を発症して体が動かなくなるかもしれません。
おじさんもツマクマが肺がんで呼吸困難になり、酸素ボンベをつけなければならなくまでそのことに気が付きませんでした。
ツマクマが酸素ボンベをもって移動していると奇異な表情で見る人がいました。何だろうこの人はと言った目です。なるほど、障害を持つ人はこんな目で見られているのだと気が付きました。
事実ツマクマは要支援2のレベルでヘルパーさんが来てくれていました。ツマクマが病になるまで、障害など自分に無縁だと思ってきました。
それが、ツマクマのことで学んだのです。加害者は自分に子供ができてその子が障害者だったということを考えなかったのでしょうか。
加害者は多分精神的な病気だと思います。精神的な病気は時代を反映するのです。戦後すぐ精神的な病気にかかった人は軍隊時代のことを引きずっていました。
社会の一番大きな流に精神の病を得ている人は影響されるのでしょう。弱者を排斥する傾向を強めている社会の風潮の影響をこの加害者は受けたのだと思います。
明日は専門学校で教えている日本語の試験です。