文化資本と階層
今日は中学の仕事でした。今日は去年の公立高校の入試問題をやりました。おじさんが勤務していた時代より格段に難しくなっています。
文部科学省は知識より生きる力と言いますが、知識がなければとても解けない問題ばかりです。文章も長文になっています。また本文から答えを抜き出すだけでなく、本文をもとに自分で内容をまとめる問題もありました。
一番驚いたのは漢文の書き下し文があって、それについて答えさせる問題です。「而して」などという言葉が注釈なしででます。また、訓点(レ点や一二点)を打たせる問題もありました。
漢文の書き下し文を高校入試で出題するのは初めてみました。これでは塾に行かないととても解けません。中学では日本語聴解のテストとか朗読のテストとかグループ学習とかを盛んにやっています。
確かに生徒は退屈しないでしょうが、この問題を解く力はつきそうもありません。また、今行っている中学はかってあった産業が衰退しさびれた町です。
蔵書が沢山あって、いつでも本が読める家庭と本などなく読書の習慣のない家庭では将来に大きな差がでます。机について静かに読書する習慣のある子どもは将来勉強に抵抗を余り感じません。
そもそも学ぶことが将来につながるという精神文化がなければ勉強への動機づけに欠けます。勉強しても、たいしたことはないと親が子供に教えたら、子供は勉強する気にはならないでしょう。
そもそも親が様々なことに関心をもつのともたないのとでは大きな差がでます。また、サイトに書かれてあったように、きちんとした日本語を話したり、生活のマナーがきちんとしているかどうかも将来大きな差がでます。
友達同士で方言で話しても、いざとなったら共通語できちんと話せなければ、就職活動も難しいです。一時ソフトヤンキーが地方を救うといわれましたが、そうではないと思います。
絶対的な収入は地方であっても文化資本の高い家庭が多いと思います。地方の有力企業や公務員になるのはそんなに簡単なことではありません。
ソフトヤンキーでつける仕事はある意味不安定です。建設や飲食業といった世界でしか働けないでしょう。おじさんの中学にもソフトヤンキーの予備軍が結構います。
この生徒たちは将来苦労するだろうなと思います。明日は本来中学の仕事なのですが、卒業式なので仕事はなしです。土曜日は専門学校の卒業式があります。