新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

おじさんの専攻(専門)-大学院編

 今日は早朝から土砂降りでした。おまけに雷までなって大変だったのですが、昼近くなってあがってきました。いつもおじさんの街はこのパターンです。明日も天気予報によれば雨のようです。昨日は夜同僚の中国人の先生から電話があって、いよいよ研究補助金の申請をするので、年齢と職名(職名は副教授です。)を教えてほしいと言われました。その後、さらに電話があって、何か研究業績があったら教えてほしいとのことでした。
 
 申請書に書く欄があるようです。日本に帰れば一度業績書を書いたことがあったのですが、こちらでは準備をしていなかったので、サイトで調べられる(おじさんの名前で打ち込むと少しでます。)範囲で3つくらい書きました。まさか、こんな時に役に立つとは思いませんでした。何もありませんでは格好がつかないのでよかったです。
 
  さて、今日のタイトルです。実は大学を卒業する前、東京のミッション系の大学院の文学研究科日本語日本文学専攻に合格しました。もしその大学院へ行っていれば、別の人生があったと思います。しかし、いろいろ考えて高校教師になりました。それから30年以上たって、偶然の機会から大学院へ進学することになったのです。大学院でのことは又書きますが、専攻は今度は日本語ではなくて教育学でした。
 
 ですから、今回共同研究者の先生に知らせた研究業績は、その教育学に関するものなのです。おじさんは教育学の中でも、授業研究や教育心理学などではなく、教育行政学を専門にしているのです。おじさんが所属した研究室は教育行政学・学校経営学研究室です。先生は新進気鋭の先生でした。不思議な縁があったのですが、今回は省略します。
 
 専門に研究したのは、高等学校における意思決定過程の研究です。高等学校は小中学校にくらべて、きちんと組織ができています。規模が小中学校より格段に大きいし、生徒も大人に近いからです。おじさんが勤務した高校は1200人の生徒と50人以上の職員がいました。先生方は教科指導(英語や国語を教える)の他に進路部や生徒指導部、保健部などに所属します。(学校では校務分掌といいます。)
 
 大規模な組織を校長と教頭の2人では管理しきれないのです。(学校では厳密な意味での管理職は2人だけです。)さりとて、50人もの教師で構成する職員会議では議論が分かれて収拾がつきません。そのため、職員会議に提出する原案を事前に審議したり、校長が方針を決定したりする際の意見を求めたりするための組織が必要になります。それを普通「運営委員会」と呼んでいます。その運営委員会で決定されたことを、職員会議で報告し、意見を求めることになるのです。(運営委員会の委員は普通各部の主任主事がなります。)
 
 おじさんの研究は、従来学校は職員会議によって運営されているとされるが、実際は運営委員会が学校運営の中心であることを、運営委員会の組織構成の分析と校長へのアンケートを中心に立証したのです。ですから、おじさんの修士論文のテーマは「県立高等学校における学校運営組織の研究ー運営委員会を中心にー」です。
 
 今やっている、日本語教師の仕事とは全く関係ない研究です。しかし、修士論文を書くために苦労したので、論文指導などは苦労せずにできます。また、せっかく研究をやったので、その延長として高校教育学会で発表したり、雑誌の論文を掲載したり、校内の研究紀要に論文を書いたりしました。それが今回役にたったのです。
 
 以前書いた「勉強は身を助ける」一例です。まさか、中国で自分の研究実績を報告するとは思いませんでした。もし研究補助金が認められるならば、共同研究者として、おじさんの名前が中国の大学に残ることになります。「人死して名を残す」と言われますが、死ななくても名前が残ることはうれしいです。
 
 今日はこの後以前報告した宜賓市の大学の先生が来ます。多分明日はその先生をつれておじさんの街の観光地(ほとんどありませんが)を案内することになると思います。