新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

日本語学と国語学どこが違う。

 今日も相変わらず晴天です。やっと水不足解消かと思ったのですが、この天気が続くとまた水不足になりそうです。これからは、ひたすら暑くなるばかりだと思います。後期(2学期)もすでに半ばを過ぎました。5月には期末試験の問題を作らなくてはなりません。ツマクマなどは、授業は残り4回になりました。
 今まで暇だったのですが、急に忙しくなってきました。おじさんの経験では暇な時は本当に退屈するくらい暇で、忙しい時にはそれこそ目が回るほど忙しくなるのです。それも思いがけないことで忙しくなります。今のおじさんがそうです。今抱えている仕事は、同僚の先生の研究補助金のための研究計画の手伝い、スピーチコンテスト出場の学生の原稿訂正、作文コンテストのための選考、それに今日朝メールで大学院生から修士論文の日本語を添削してほしいと言ってきました。
 連休中(5月1日~3日)には、大学院生(1年生)の学生さんが日本留学のことで相談に来たいと言っていました。それに明日は御世話した宜賓市の先生が尋ねてくるそうです。本当に今年の連休中は忙しいです。多分このまま5月も忙しいのでしょう。
 さて、昨日書いたように「国語学」と「日本語学」の違いについて書きます。以前は「日本語学」という考え方はほとんどありませんでした。今は「国語学」という考え方はほとんどありません。理由は日本が経済大国になって、国際社会で注目されるようになったからです。
 これまで日本語は日本人しか使っていませんでした。おじさんが大学生のころ、外国人で日本語を学ぶ人はほとんどいませんでした。ですから、日本語は日本国民だけのものだったわけです。それで自国民の言語の意味の「国語」が使われたのです。これは明治以来ずっとそうでした。しかし、1980年代頃から急速に日本語を学ぶ人が増加しました。その上日本企業も海外進出をはかって、日系企業で働く外国人も急増したのです。
 それでは、「国語学」と「日本語学」ではどこが違うのか書きます。根本的な違いは、「国語学」は日本語を母語として完全に理解した上で、その文法や音声(音韻)について研究するのです。ですから、全ての日本語は文法体系によってきちんと分類できるのです。読者のみなさんが習った、「活用」とか「用言」とか「接続助詞」とかです。
 ところが「日本語学」は全く日本語を知らない人を対象に日本語を教えることのために作られたものです。そのため、「国語学」でいう文法体系のようなものは役に立ちません。日本人が何の苦労もなく使っている言葉の区別が外国人の学習者にはできないのです。つまり、外国人学習者には、なぜこの言葉とこの言葉が違うのか分からないのです。特に助詞で苦労するのです。英語も中国語も助詞に該当する言葉がありません。
 また、丁寧語や受身形なども理解しにくものです。そのため、「日本語学」の研究論文は日本人にとって(おじさんもそうですが)とても分かりにくいものになります。言語はなぜその言葉を使うのか考えないで無意識に使っているもなのです。例えば「~てもらう」と「~てくれる」について、この共通点を日本語学では「受け手である自己の気持ちを充足させるか否かである。」と説明します。さらに「この充足が相手の厚意を受け取り感謝の気持ちの表現となる」と説明するのです。日本人なら「Aさんに勉強を教えてもらう。」とか「Aさんが私に勉強を教えてくれる。」という表現を聞けば、日本人はAさんは親切な人だと思うだけのことです。
 ところが「日本語学」では二つの表現に共通する意識は何かと言ったことを分析するのです。文法学を専攻したおじさんにとっても、「日本語学」の説明は難解極まりないものです。多分日本の高校でこのような教え方をしたら全員寝てしまうと思います。これ以上書きませんが、本当に「日本語学」は日本人にとって難しいものです。
 今日は午前中はツマクマの中国語会話があります。午後から冷蔵庫が空っぽになったので買い物に行きまうす。明日はお客さんなのでご接待です。