新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

おじさんの専攻(専門)ー大学編ー

 今日はいよいよ夏日になりました。多分24度近くなったと思います。1週間前までは、朝晩は暖房をいれなければならないほどだったのですが、昨日から急に暖かくなりました。今日も上がったのは気温だけで、曇り空のままです。明日はもっと暑くなって、最高気温は30度近くまでなりそうです。春を飛ばして急に初夏になりそうです。
 今日で今週の授業は終わりです。授業は今「論文の書き方」の演習をやっています。自分で問題を作ったのに間違えるくらい、論文を書くルールは面倒です。実際に論文を書く時は自然にルールに従ってやれるのですが。
例えば、参考文献(論文を書くのに参考にした論文や本のこと)は著者の名前の50音順にするのか、それとも引用した順にするのかなどです。(これは50音順が正解です。)句読点の打ち方もなかなか面倒です。
 さて今日は、おじさんは国語の先生だったのですが、何か専門はあるのかということについて書きます。大学は地方の公立大学の文学部国文科の卒業です。今は国文科と呼ばず比較文学科と呼ばれています。大学によっては国文科は日本語日本文学科となったところもあります。また、最近では日本語教育学科(日本語教育専攻)なども増えています。(日本語教育は外国人にどのように日本語を教えればよいかで、国語教育とは違います。)
 おじさんの頃は日本語教育はほとんどやられていませんでした。ところで大学の頃は国語学(日本語学)を専攻していました。今は国語学という呼び方はほとんどしません。日本語研究の最大の学会であった「国語学会」も名称を「日本語学会」に変えました。日本語と国語がどう違うかは、またいつか書きます。
 国語学の分野でも、文法研究と音声(音韻・・発音)研究が2大分野です。その中でおじさんは文法研究をやりました。おじさんの頃は国文科の主流は「文学研究」で、それも特別な勉強がいらない近代現代文学研究が主流でした。国語学を専攻する学生は全体の1割程度です。しかし、国語学を専攻する学生は勉強好きな学生ばかりでした。なぜならこれまで全くやったこののない分野を勉強するからです。
 その中でおじさんは文体論(文章スタイル)について卒業論文を書きました。時代は平安時代末期で、専門的には院政期と言われます。その時代の説話を取りあげてやりました。読者の方が誰一人知らない「打聞集」(うちぎきしゅう)という本を用いて院政期の文体の特徴について書きました。これ以上書くと眠くなるのでやめます。
 しかし、この時に国語学を専攻したのが今役に立っています。卒業論文とは別に国語学関係の論文を多くよんだので、日本語の特徴や言葉の変化などについて知ることができました。今中国人の先生方から質問されて答えることができるのも、その御蔭です。またいつか書きますが、ある中国人の先生から研究補助金申請のための研究計画について相談を受けています。このような時にも40年前の勉強が役にたっているのです。まさに「芸は身を助ける」ではなく「勉強は身を助ける」状態です。
 今日は長くなりそうなので、大学編で終わります。じつはその後不思議な運命から53歳にして大学院に進学することになったのです。そこで大学時代とは全く異なる分野を専攻することになりました。明日から休業日です。研究補助金のためにお手伝いや作文コンテストのための選考を明日からしなければなりません。