新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

おじさんの就職活動

 今日も暑い1日でしたが、外出したりしてのんびり過ごしました。今日から娘(二女)が孫1と孫2を連れて帰省します。といっても娘の住む町とおじさんの住む町は高速バスだと40分くらいです。娘は明日中学の時の同窓会があるそうです。
 
 今日は以前から考えていた近くの街(娘の住む町)の某短大の日本語教師公募に応募すべく資料を作りました。日本に帰れば、以前勤めていた県の県立高校の講師募集があると思ったら、サイトがなくなっていました。希望者が多くて新規に途中採用はしないのかもしれません。
 
 別に働かなくても生活困窮ということもないのですが、何かしないとおられないので、この募集に応募することにしました。そう思って地元の日本語教師公募サイトを見ると、近くの某旧帝国大学日本語教師の公募をしていました。ただこちらは、職務経験の他に研究実績がいるのです。おじさんは、学会で発表したりしたこともあるのですが、何といっても日本語教育分野での研究実績がないので、ちょっと無理かなとも思っています。
 
 今、プリンターが故障しているので、中国からプリンターが到着したらこちらも話のタネに応募してみようかと思っています。やはり中国とは言え国立大学で3年間教えた経験は有利だと考えているからです。
 
 今日作成した資料は履歴書と職務経歴書です。職務経歴書など今まで書いたことはなかったのですが、自分のこの中国での3年間の働きを振り返る意味で考えてみました。3年間にいろいろなことをしていました。中国では、日本と違って謙遜することはないので、なんでも書きました。
 
 普通日本だと職務経歴で教職だと自分の教えて科目だけ書くのですが、中国風に卒論指導をしたことや、(毎年優・・90点以上、学部10人以内を出したこと)全国日本語スピーチ大会の地方優勝をしたことなども書きました。それから、日本への留学指導をしたことも書きました。
 
 新しい読者のみなさんのために報告すると、おじさんが教えた科目は、総合日本語(4年生)日本概況(3年生)日本語作文(3年生)日本文化・社会論(修士1年)日本古典文学(修士1年)日本語会話(2年)日本文学講義(4年)などです。
 
 やってみて分かったのは、自分は会話を教えるのが苦手なことです。やはり会話は女性の方が上手です。それで、去年と今年の後期の2年生の会話はツマクマがやりました。結構評判がよかったです。今回の募集も、会話だったら無理だと思ったのですが、日本事情(日本概況)及び日本文化論の先生の募集なので、よかったです。
 
 うまく就職できたら、また記録が伸びます。学校での生活は5歳の時幼稚園に入学以来今も続いています。(教師としてと学生として)これで学校生活58年目です。教師としては、41年目です。何とか学校生活60年を目指したいところです。相撲取りさんも記録をめざして満身創痍の中がんばっているので、おじさんも恥を忍んで就職活動をしています。
 
 もし、書類選考にパスしたら、今度は模擬授業があります。それもパスして採用されたら10月から仕事開始です。この短大のキャンパスの一つがおじさんの別荘のある町にあります。ですから、そちらなら別荘から通えるので楽なのですが。
 
 何十年かぶりの就職活動報告でした。