新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

別荘のこと

 今日も真夏日です。7月8日に帰国して、雨がほとんど降りません。せいぜい夕立程度です。それでも、立秋を過ぎて、朝晩は涼しくなりました。
 
 昨日から孫2が娘と一緒に帰省しました。お盆の14日までいます。14日に子供たちと義弟一家がそろいます。甥は今年の春に結婚しました。14日は久しぶりに大勢で過ごします。
 
 ところで、7日から10日まで別荘でしたが、その間にアメリカの株価は大暴落しました。その可能性については、別荘へ行く前に書いた通りです。しばらくこの余韻が続くと思います。ただ、赤字国債法案が通過したようですから、本格的な財政投資が復興に向けて始まるでしょう。建設株も少し持ち直していました。
 
 さて、今日は新しい読者の方もいるので別荘の話しです。別荘と言っても「名ばかり別荘」です。中古自動車の元事務所(プレハブ)を移設したのです。広さは16坪くらいです。テレビだけはありませんが、それ以外の生活設備は整っています。テレビは特別なアンテナが必要なのです。場所は、おじさんの自宅から車で1時間半(高速道路を使って)くらいです。以前は高速が途中までしかなかったので、3時間とかかかっていました。
 
 以前は○○町だったのですが、最近近隣の1市2町が合併して市になりました。おじさんの地方一の大都市に隣接しているので、新しくできた市は人口10万近くになりました。おじさんの別荘のある地方は純農村地帯です。稲作もやっています。おじさんの別荘の周りはハウス栽培です。以前はいちごでしたが、今はバラやランなどを栽培しています。
 
 おじさんが、別荘を買ったのは28年くらい前です。何回かあった不動産ブームに乗せられて、この地方の物件を探していて見つけました。義弟と一緒に2区画を買いました。義弟はすでにその土地は売っています。もともと農地だったのです。おじさんの土地の広さは120坪くらいあります。以前は家がなかったのですが、おじさんの家の他に2軒たっています。偶然なのですが、上の家の方は中学の美術の先生、下の方の奥さんは中国人の方でレリーフなどを制作する芸術家です、御向かいの家の方はカメラマンなのだそうです。芸術村のようです。
 
 国道まで歩いて10分くらいです。国道のすぐ裏は海です。きれいな砂浜です。別荘の辺りはちょっとした集落で、別荘はその一番つきあたりになります。その先は山になっていて頂上には神社があります。最近でも日曜日には集落の子供が御宮掃除をします。(集落には有線放送があって、役所からの放送が流れます。掃除の呼びかけも日曜日の朝あります。)
 
 盆踊りも8月15日にあります。集落の子供たちが、「盆踊りに来てね。」というポスターを作っています。以前は盆踊りの演奏の練習をしていたのですが、今はやっていません。盆踊りと言っても、○○音頭をスピーカーで流すというようなものではありません。
 
 歌い手がやぐらの上に立って、延々と「口説き」(石堂丸の話・・説教刈萱)を唄います。それに合わせて皆が独特な身ぶり手ぶりで踊るのです。結婚してこの村(明治期には○○村と呼ばれていました。)に来た人はこの踊りを憶えて初めて村の人と認められるそうです。
 
 別荘はJRの駅にも近いです。歩いて行くと20分くらいかかりますが、何とその駅から、おじさんの地方最大の繁華街(街の名前は言えば読者の方全員が知っています。)まで30分くらいです。東京や大阪などの大都市なら、繁華街までJRで30分だと大変な地価だと思いますが、ここはまだ地方なので田舎のままです。
 
 もし、また仕事ができるようになったら別荘から通うことになりそうです。短大と大学のどちらも別荘の近くにキャンパスがあるのです。とはいうものの、今のところ全く連絡はありません。盆明けに最後の応募をするつもりです。これで駄目なら多分来年の春まで無職ということになりそうです。
 
 明日はお盆に向けての準備です。