新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

おじさんと甲子園

 今日は御墓参りです。おじさん自身はキリスト教徒ですが、世の中の風習に従って一応兄の家に行って仏壇にお参りをします。(父・母)それから伯母の納骨堂のお参りです。伯母はカソリック系の老人ホーム(修道院付属)に入ったので、カソリックに改宗しました。(老人ホームの納骨堂に納骨しています。)
 
 義父はおじさんの街でも古いお寺の納骨堂に納骨されています。今日はそこまで行きました。昼からは疲れて昼寝し、夕方からは隣の町(と言っても歩いて行ける距離)の大きな川(一級河川)のほとりである花火大会へ行きました。それが終わってこれを書いています。
 
 今テレビは甲子園の高校野球を大々的にやっています。それで今日はおじんさんと甲子園について書きます。おじさん自身が野球をやったのは小学校までです。子供会の野球大会があっておじさんのチームが優勝したのを思い出します。
 
 おじさんの高校は旧高等女学校だったので、グランドが狭く野球部はありませんでした。しかし、同じ市内のもう一つの高校は公立高校ながら甲子園に出場しました。今の出場校を見ても圧倒的に私立が多いですね。出場したのは昭和30年代前半のことです。
 
 当時ほとんどの家にテレビがありませんでした。それで、何と公園に近くの電気屋さんがテレビを設置してくれて皆で高校野球を見ていました。その公園はおじさんたち子供の天国でした。団塊の世代なので、その公園に行くといつもだれかいて皆で遊びました。サッカーをしたり鬼ごっこをしたりしました。6年生がリーダーで、20人近い小学生や幼稚園生をまとめていました。
 
 おじさんは38年高校教師生活をしましたが、3回甲子園に勤務校が出場しました。1回は全国高校野球大会ではなく、単に地区大会の会場でした。生まれて初めて甲子園に行ったのはその時です。地方大会の1回戦でした。本当に大きな球場だったことだけ印象に残りました。(昭和49年のことです。)
 
 全国高校野球大会(本来の意味の甲子園)に行ったのは、定年前に勤務した学校の前の学校のことです。勤務した次の年くらいに夏の甲子園に出場しました。甲子園には魔物が住んでいるといわれるように、高校野球は思いがけないことが起こります。今日も9回2アウトから何と8点を取って逆転勝利した高校もありました。また、9回満塁ホームランで逆転勝利した高校もありました。
 
 おじさんが初めて甲子園に行った県大会決勝もそうでした。1点負けていた最終回2アウトから走者2塁3塁で平凡なゴロになりました。アウトを覚悟した瞬間相手選手がエラーして一気に逆転です。おじさんが見てもエラーするようなゴロではなかったのですが。
 
 その後もう1回春の選抜大会にも行きました。県立高校に勤務して生涯2回も甲子園に行けた教師は少ないと思います。ラグビーの全国大会(花園ラクビー場)にも2回行きました。
 
 明日はちょっとのんびり過ごします。