新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

忘れられた言葉ー内需拡大

 今日はツマクマと義母は知り合いの方と温泉に出かけています。ですから家には一人しかいません。それで午前中は繁華街に外出していました。おじさんの家からバスとJRを乗りついで1時間くらいのところにおじさんの街一番の繁華街があります。
 
 以前は土日など人が多くて繁華街が通れないほどでしたが、人口減少の影響もあって今は繁華街もシャッターの降りた店が多くなりました。デパートもかっては3つあったのですが、現在は1つになりました。地方都市はどこでもさびれているようです。
 
 今日の株価の方はさすがに売りが出たようで下げていました。おじさんは、相変わらずの膨大な含み損のままです。円がなんとか80円台後半にならなければ株価はもどらないようです。スイスは無制限のドル買いでスイスフラン高に対抗するようです。日本でもやれという意見がありますが、日本とスイスの経済規模を考えればそんなことはできないでしょう。円を売ってドルを抱えて、その後さらに円高になったら膨大な差損を抱えることになります。それにどこの国も自国通貨を安くしたいようです。(輸出に有利なので)
 
 さて、円高は今に始まったことではありません。戦後高度成長期以来円高は日本経済の宿命でした。おじさんが子供の頃1ドル360円と習いました。その頃アメリカは偉大な国に見えました。その代り日本の輸出はどんどん増大し、企業も拡大して行きました。
 
 当時海外旅行は夢のまた夢だし、海外から入る商品は貴重だし値段も高かったです。舶来というのが、優れた品物の代名詞だった時代があります。今でも今年90歳になる義母は何かうまく行った時「舶来上等」と言います。今頃舶来などという言葉は死語になっているでしょう。
 
 円高になったきっかけはニクソンショックで管理通貨制度が変動相場制に変わってからです。一時円高に対して内需の拡大で対抗するという意見がでたことがあります。ところで今はそんな話はさっぱり出てきません。輸出振興と内需拡大の二つが日本経済の柱だったはずです。
 
 内需拡大ができれば日本の企業は助かるはずです。しかし、考えてみれば内需拡大は無理です。そもそも日本経済は輸出によって支えられてきたのです。もちろん日本が貧しかった時代は内需拡大も可能でした。自動車も電気製品もなく、道路も未舗装で洪水が頻発していた時代、どんどん国内で商品が売れたし、公共事業も行われました。(今はどんな山の中に行っても道路は舗装されています。)
 
 それに団塊の世代が成長する時代は人口のボーナスの時代で、生活必需品が飛ぶように売れた時代です。デフレの原因として通貨が少ないから通貨をインフレになるまでばらまけば、デフレは終わると今でも主張している人がいます。
 
 経済学的には確かにデフレは物の値段が下がって通貨の価値が上がることです。しかし、物価が下がったのはやはり物が売れないからです。通貨量の問題ではないと思います。もし通貨を増やすために国民全員に5万円配ったとしても、相当数の高齢者は将来のために貯蓄するでしょう。それに一度では効果がありません。最低でも5年くらい毎年国民全員に5万円配ると言えば将来も貰えるのでいくらかは使うとと思います。
 
 もちろん皆がお金を使うのですから内需は拡大するでしょう。しかし、麻薬と同じです。政府が配るのをやめたら内需がダウンするはずです。やはり根底には人口減少(高齢化)があるのです。それから近所や知り合いの方の子供さんの中に、女性であればアルバイトをしながら未婚で40代を迎えようとする人、男性でも就職できずアルバイトをしたり、引きこもりになったり、仕事をやめたけれど次の仕事が見つからない人がいます。
 
 ざっと数えただけでも10人以上知っています。こんな小さな街でさえそうです。日本全国となれば膨大な数に登ると思います。そんな子供を持つ親御さん(50代以上)はお金を使うことなどできません。もしお金を政府が配るなら、そんな子供のために貯蓄するでしょう。
 
 高齢化を食い止めるためには欧米のように移民を受け入れるしかないのですが、それは無理そうです。日本はピークを過ぎてしだいに衰退していき団塊の世代が死んでいなくなる頃アジアの小国として生きていくことになると思います。唐様で書く3代目といいます。団塊の世代の次の世代まで団塊の世代が持っている資産を食いつぶして生きていけますが、その次には残らないと思います。
 
 今思いきった政策、たとえそれが辛くても取らなければ20年後の日本は世界から忘れ去られた国になるでしょう。明日はのんびり過ごします。