新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

言語の情緒的意味又は言霊について

 今日は日曜日なので教会へ行きました。ツマクマは昨日までの旅行で疲れて教会はお休みです。先日から以前勤務した大学の学生さんで日本留学を希望する方から、研究計画書に関する依頼がありました。
 
 ツマクマも日本語会話の授業をしたので、以前勤務した大学の学生さんからメールが来ています。先日は中国の教師の日だったのですが、「教師の日おめでとう」メールが来ていました。中国の学生さんは結構義理がたいですよ。日本だと退職帰国した外国人の先生にメールを送ったりは余りしませんよね。
 
 さて今日は昨日辞任した大臣の発言に関するブログです。これもこれまで全くおじさんのブログを読んでなくて、突然読むと反発があるので、政治的に保守的な人が余り読まないカテゴリにしました。おじさんもそうですが、どのカテゴリにするかで、読者の層が相当違うからです。
 
 今日書く内容を政治のカテゴリなどに分類すると相当反発が来そうだからです。さて、昨日辞任した大臣の発言のうち「死の街」発言について書きます。「放射能が伝染する」という考えは言語の問題でなく精神文化の問題なので、今日のタイトルと別になります。ちなみに、この悪い物が伝染するというのは、古代特に中古平安時代に流行した「汚れの伝染」思想です。
 
 例えば血の汚れは伝染するから、古代では出産する場合「産屋」という特別の部屋を作って汚れが他の人に伝わらないようにするのです。あの論争になった「土俵に女性を上げない」のも同様の精神文化なのです。「忌中」を死者の出た家の前に張り出すのも「今は死の汚れの中にあるので、・・中は当たる、該当するの意味です。忌む、つまりかかわりを持たないようにしてください。死の汚れが伝染しますよ」という警告書なのです。
 
 ところで日本では他の言語に比べて格段に言語の情緒的意味が強くまた影響力も大きいです。例えば、英語で相手のことは「you」一つしかありません。中国語でも「ニイ」と「ニン」の二つです。それに対して日本語は「あなた・きみ・おまえ・きさま」など色々あります。意味は二人称なのですが、それぞれの言語的意味以上に情緒的意味(言語にこめられた気持的、感情的意味・・尊敬、軽蔑など)が大きいです。
 
 先生に向かって「お前」などいう人はいません。また親友に「あなた」という人も少ないでしょう。意味としてはどちらの同じなのです。ですから、本来の意味以外に情緒的意味(快・不快、好意、悪意、良い・悪い)などを含む微妙な場合は言い換えをするのです。
 
 有名なのは、戦前の陸軍が「撤退」ではなくて「転進」、「全滅」でなくて「玉砕」などと言ったのも同様です。「特別攻撃」と言っても決して「自殺的攻撃」と言わないのと同じです。「敗戦」を「終戦」と言うのも同じです。この場合は、特定の言葉に情緒的意味があるからです。事実をうまくきれいな言葉で言い換えているのです。
 
 日本の文化において、事実を事実として正面から取り扱うのをいやがります。また言霊のように言葉には何か不思議な力があると考えています。もちろん他の国でも同様ですが(13と言う数字など)、こだわりが強すぎるような気がします。たとえば「ケーキカット」はいいのですが、「ケーキを切る」はだめです。この場合「ケーキに入刀する」と言い換えます。
 
 以前警察や自衛隊は「暴力装置」と言って辞任した官房長官がいましたが、これも「暴力」の持つ情緒的意味が問題となったのです。官房長官は警察や自衛隊は武器を所有しているので、他の国家機関と違って物理的強制力を行使できると言いたかったのです。「暴」は「激しい」の意味です。「暴風雨」などででてきます。ですから言語的意味としては「暴力」は「激しいあるいは大変な力」の意味になります。
 
 ところが「暴」には「暴力」「暴行」「暴動」など悪い意味と持っているのです。ですから「暴力装置」でなく「極めて強い力をもつ国家機関」といえば良かったのです。意味は全く同じだからです。
 
 ですから「死の街」はだめで「生のいぶきが全く感じられない街」と言えば何の問題もなかったのです。ここで「死」という不吉な言葉を使ったのが、日本の伝統的言語感(「言霊」・・用いた言語が現実のものとなる)に強い拒否反応をもたらしたのです。
 
 つまり日本の政治家は政治的能力と同時に言語の情緒的意味についての知識を持たなければなりません。ところが、マスコミにおいてもブログにおいてもこのような指摘はありません。マスコミ当事者の皆このことを知っているはずです。しかし、日本の社会は理屈じゃないよ心だよという、情緒過剰なのです。
 
 へたに言語の情緒的意味を説明するより、被災者の気持ちを逆なでする言葉だと批判する方が多くの国民に受け入れられると考えているのです。小泉さんなどこれをよく知っていて(特別に言語学を勉強したのでなく、天性の勘で知っていたと思います。)ちょっとした話や演説に利用しています。おじさんが聞いていても、情緒的な意味としては分かるが、およそ論理的と思えないのですが、国民には受け入れやすかったようです。
 
 まあおじさんが憤慨しても仕方がないのですが、こんな形で政治家を問い詰めて行っても日本は少しも良くならないでしょう。ポイントはどのような政策を実施できるかなのですが。口は悪いがやることはきちんとやる上司のような政治家がほしいものです。
 
 明日はまた株価がさがるでしょうね。