新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

大学神学部授業開始

 木曜日から今日まで他所へ行っていました。木曜日から別荘に宿泊し、金曜日と土曜日は次女宅に宿泊しました。木曜日は大学へ昼頃行った後、授業が終わって別荘へ行きました。実は大学は別荘に近いのです。電車で30分くらいです。金曜日は畑作りのお手伝い(じゃがいも・大根等を植えました。)、土曜日は長女一家と次女一家と一緒に梨狩りに行きました。
 
 梨狩りは同じ県内の農村部です。果樹栽培が盛んな地域があって、そこで梨狩りをして、温泉に入って帰りました。そのまま自宅に帰るのは大変なので又1泊して今日の昼頃帰りました。台風接近の報道もあったのですが、何とか無事帰り着きました。
 
 ところで木曜日授業に始めて出ました。教室はゼミ教室というか会議室みたいな感じです。7階ですが、エレベーターがあるので楽勝です。昼頃行って昼食も学食で食べました。学食は中国の大学の学食の方がお店がたくさんあって良かったです。
 
 3限目の授業は13時半からです。まずその前に教務に行って聴講生カードを貰いました。おかげで大学図書館も自由に使えます。3限目の授業は組織神学概論です。簡単に言えば教会論です。テキストはドイツの著名な神学者バルトの「教会教義学」を輪読します。まず最初の3回は「今日の時代の出来事におけるキリスト教会の約束と責任」です。後は「福音と立法」「バルトにおける創世記1:1-2についての神学的解釈」です。
 
 今回は自己紹介みたいなものです。ところで受講生は15人いました。男性が12人で女性は3人です。うち男性の4人は明らかにおじさんです。話を聞いたところ1人はすでに沖縄で牧師をしている人です。もう一人の人も教会関係者のようでした。もう一人のおじさんは建設会社を早期退職したという話でした。
 
 他の学生さんは20代でした。この大学だけではないのですが、ほとんどの大学の神学部では学生確保のため、神学コース(将来牧師を目指す人対象)とキリスト教文化コース(単に文化のひとつとしてキリスト教を勉強する人対象)に分かれます。この授業は神学コースの人向きです。
 
 先生は40代半ばくらいで、来週は仙台の教会で講演会をするので、来週はお休みだと言っていました。バルトが専門なので授業が楽しみです。キリスト教に興味のない人は拷問に近い内容です。4限目は空き時間なので図書館で過ごしました。さすがにキリスト教系大学として歴史が長いのでキリスト教関係の本がそろっていました。
 
 5限目は4時50分~6時20分までです。正式な授業名は「旧約聖書神学A」です。後期なのに「A」なのは前期にユダヤ教の外国人教師が来て授業したからなのだそうです。先生は今年定年の先生で70歳になるのだそうです。ツインマリーという人の「旧約聖書の世界観」という本がテキストです。
 
 こちらの授業は8人でした。おじさん以外は皆若い人ばかりです。(女性は1人だけ)3年生や4年生の人です。こちらも先生が自分で講義するのでなく、輪読形式です。今回は「民とその敵」という部分です。A4プリントの1枚半くらい読んだところで自由討論になりました。
 
 討論と言っても疑問点を出し合うのです。今回は「ヤハウエイの軍旗の上の手」(出エジプト記17-16)がまず問題になりました。ある学生さんが、この意味が分かりませんと発言しました。すると先生は各種の訳を参考にし、最後はご自分のヘブライ語聖書を見ながら説明されました。
 
 それでも結論は出ません。「上の」について二つの大きな解釈の違いを指摘し、さらに「手」について2つの解釈があることを指摘しました。その際すらすらとヘブライ語を黒板に書きます。40数年ぶりに本格的な授業を受けました。大学院に8年くらい前に行きましたが、専門性の深さから言えば今回の授業のほうがすごいです。(どのような内容かを書いてもよいのですが、普通の人には何にもおもしろくないので書きません。)
 
 大学院の場合は専攻の学生さん(院生)以外の学生さんもいたので先生の方も専門性の低い内容にしたのだと思います。こちらは学部の授業ですが、専門的な知識がないとちょっと理解できないと思います。もちろん全く予備知識のない学生さんが来るとも思えませんが。
 
 いよいよ授業開始なのに、来週の木曜日は中国時代指導した学生さんのところに行くのでお休みです。それでも1科目は休講なので助かりました。それで明日からまた金曜日までは旅行です。広島と島根県の益田に行きます。帰ってきたらまた報告します。