新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

信仰と神学

 昨日本屋さんに行って以前から読みたかった本を買いました。実は中国にいる時、ツマクマが知り合いのご婦人と日本語ボランテイアをやっていました。その方のご主人は企業の方で、アジア版日本経済新聞をとっておられたのです。その関係で、古い日本経済新聞をいただいていました。
 
 日本経済新聞には文化欄があって、小説が連載されていました。今は長谷川等伯の小説です。その前に対馬藩と朝鮮の話を題材にした「韃靼の馬」という小説が連載されていました。ところどころ読んだだけですが、全体を知りたくて買ったのです。2600円と結構高かったのですが、満足しています。
 
 今は失業状態なので、時間があるので図書館で本を借りたりして読んでいます。今回新しい本が手に入ったのでうれしいです。ところで今日は日曜日なので教会へ行きました。そこで今勉強を始めた神学について考えさせられました。
 
 今日のブログはとても難しいし、宗教やキリスト教に興味のない方も多いので読み飛ばしてもらってかまいません。こんな難しい話しをする人もいないので、仕方なくブログに自分の考えを書いているのです。
 
 まず神学と宗教学の違いについてちょっと書いてみます。神学は文字通り神様に関する学問です。仏教の場合は仏教学というようですし、神道だと神道学というところです。ですから神学と言えば普通キリスト教の神様の関する学問ということになります。神学の歴史は古く、中世ヨーロッパの大学は神学・法学・医学の三分野しか学部がなかったそうです。
 
 宗教学は宗教一般に関する学問で、特定の宗教について深く研究するものではありません。教会に通っている信者さんには神学は必要ありません。神学は研究者や牧師さんなど特別な知識の必要な人のためのものです。信仰は文字通り信じ仰ぎ見ることです。
 
 信仰のないキリスト教徒はいません。しかし、信仰のない神学者は可能なのです。もちろんほとんどの場合、神学者は信仰を持っています。しかし、理論的に言えば信仰がなくても神学者になることはできます。ほとんどの神学者は牧師の資格を持っていて、説教をしたりしますが、牧師の資格がなくても、説教をしなくてもいいのです。
 
 神学とは、聖書やキリスト教に関する問題を客観的に研究することなのです。聖書やキリスト教について、深く知りたいと思うと色々な疑問が出てきます。例えば、聖書はいつごろ書かれたのかといった素朴な疑問です。また教会の歴史や教会の働きなどについて体系的に知りたい場合、その研究をしなければなりません。
 
 また聖書の内容をどう理解するかも大切な問題です。聖書の言葉はどのようにでも理解できるものなのです。人によって随分聖書理解が違います。最近でもおじさんが勉強に行っている大学のある先生の聖書理解にかんする文章を読んで驚きました。
 
 これまでの定説を真正面から否定しているのです。その先生は以前から従来の定説に批判的だと聞いていたのでなるほどと思いました。神学はもちろん学問の一分野ですから、書かれた内容に客観性や普遍性がなければなりません。
 
 そこが信仰と違うところです。信仰は主観的なもので「私は信じている」ということが全てです。なぜ信じているのかについて客観的かつ合理的に説明する必要はありません。お寺にお参りしているおあばさんに、あなたはなぜ仏様を信じているのですか、説明しなさいと言っても無理なのと同じです。信仰は自分が信じていることが大事なのです。
 
 神学の場合このような説明、つまり私はこう信じているのでこのように聖書を理解するではだめなのです。そもそも聖書自体様々な写本などがあって解釈が難しいのです。ですから様々な根拠を示して説明しなければなりません。前回書いた授業でも聖書のわずかな部分の解釈をめぐって90分の授業が終わりました。
 
 それでもこれが正しいという解釈はできず、二つの全く異なる解釈の可能性を示すだけで終わりました。信仰の場合だと、そこまで考える必要はないのです。ただ自分の考える理解で十分なのです。それにそんな難しい分析をしても意味がないのです。かえってキリスト教のことが分からなくなるだけです。
 
 ですから、信仰を持って間がない人は、神学書を読まない方がよいと言われます。教会に来ている人で神学に興味を持つ人はほんのわずかです。たとえて言えば、夏目漱石の本を読むひとはいても、夏目漱石の研究書を読んだり、登場人物に関する分析を読んだりする人がほとんどいないのと同じです。
 
 おじさんはキリスト者としてはまれな人です。自分の我流の知識でなく、正確なキリスト教知識を持ちたいと思って、勉強に行っているのです。単なる知的好奇心です。明日は、ヨーロッパ旅行の残金の振り込みに行きます。これをすればいよいよ旅行に参加する準備に入ります。