新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

平家物語に見える武士像

 今日は真夏並みの暑さです。これから数日はこんな天気のようです。ところで今日の株価は上昇したようですね。さすがに年初来安値の株式が勢ぞろいしたら買いが入るのでしょう。ただ根本のところが解決していないので、このまま株価が上昇するか不明です。
 
 日本の市場は、どうもアメリカの株式市場と連動しているようで、昨日アメリカの相場が上昇したので、日本の投資家も安心して買いを入れたようです。今日の夜発表になるアメリカの相場が注目点です。さらに買いが入るようなら、8000円台後半から9000円へと進むかもしれません。
 
 さて、今日はこれまでと異なるブログです。おじさんの興味関心は多方面にまたがります。政治・経済・軍事はもちろんのこと、専門の教育・文学から宗教までです。ほとんど興味がないのは芸能とスポーツ・園芸・料理などです。(基本的に体を使う分野は苦手です。)
 
 先日会いに行った学生さんは、今大学院で日本文化研究をやっています。卒論は日中の死生感の比較研究でした。修士論文でも死生感をやろうと考えているようです。夏休み前に、指導教官の先生から平家物語を原文で読むようにアドバイスされたのですが、ちょっと歯が立たなかったようです。
 
 それで、おじさんの方で武士の死生感を中心に、初期の武士たちの生き方について書かれた章段をアドバイスすることにしました。平家物語は量が多いので、その部分だけ読むと初期の武士の姿が分かると思ったのです。
 
 もちろん国文科出身のおじさんは大学時代平家物語を原文で読みました。その上授業でも教えたことがあるので知っているのです。読者の皆さんには、学生さんに先んじて答えを教えておきます。
 
 武士というと江戸時代のできた武指道を思い浮かべますが、あれは平和な時代にできた武士の姿あるいは観念的な武士の姿なのです。武士とは本来戦争における軍人なのです。毎日生きるか死ぬかの瀬戸際で生きているのです。ですから、観念より具体、理想より現実で生きていました。
 
 とろこで武士といえば、正々堂々卑怯なことはしない、また主君のために命をかけて生きる姿を思い浮かべるでしょう。しかし、平家物語の武士(主に源氏の侍)は違います。例えば良く知られている那須与一(中学の教科書にも出ています。)は扇を射た後感動して舞っている平家の貴族を射殺します。無抵抗に踊っているのにです。
 
 また、宇治川の合戦では、佐々木四郎はライバルの梶原源太と先陣争いをしますが、先を行く梶原に「あなたの馬の帯がゆるんでいますよ。」と注意し、梶原が気をとられている隙に先陣をします。佐々木は親切で言ったのでなく、相手の気持ちをそらすためです。
 
 この佐々木四郎は別のところでも、平家に近づくルートを地元の漁師にほうびをやるからと言って聞きだしたのに、敵にそのことを通報するのを恐れて殺します。源氏の侍というと正義の味方のようですが、こんな話はざらにあります。またある源氏の侍は平家の武将に負けて、降参する、降参した者は殺さないのが武士のならいだといいながら、油断したすきにその武将を刺します。
 
 また木曾義仲の最期を見ると、彼の部下は最後にはどこともなく落ちのびていきます。また、最後まで着き従った女性(巴御前)も義仲にうながされて落ちのびます。結局最後まで残るのは乳母子だけなのです。江戸時代の武士なら、最後の戦いに女性を連れていくなど考えられないところです。
 
 初期の武士たちにとって戦は仕事なのです。結果オーライなのです。正々堂々と戦っても負ければ元も子もないのです。逆にすこしぐらいアンフェアであっても勝てば官軍なのです。それを文学として堂々と書き残し、語り次いできたところもすごいと思います。
 
 企業も創立初期のころはこんな風に行け行けどんどんで、業績が安定し、規模も大きくなるとしだいに形式化していくのでしょう。平家物語の源氏の武士は、みっともないところが多いけれど同時に生身の人間の姿がでています。逆に敗者である平家の武将達の死にざまはそれなりに立派です。
 
 来年平清盛があるそうですが、この機会に現代語訳でもよいですから平家物語を読むのをお勧めします。高等学校程度の古文能力があれば、原文でも読むことができます。明日は木曜日神学部の授業があるので予習をします。