新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

定年後4年目経過中

 今日も27度くらいでまるで夏のようです。来週くらいからは秋らしくなるようです。と言っても来週の火曜日からは念願のヨーロッパ旅行なので、日本が涼しくなっても余り関係ありません。どうも中部ヨーロッパは最高気温15度くらい最低気温は場所によっては5度くらいです。
 
 株価の方は下落傾向もとまり、とりあえずリバウンドの状態です。ヨーロッパの経済不安はとりあえずギリシャへの資金援助で一段落しそうです。しかし、時限爆弾を抱えた状態はまだ続くと思います。震災の復興が早急に始まれば内需拡大につながると思うのですが。予算が決まっても原発事故の方の行方がはっきりしないと、本格的な復興は難しいようです。
 
 TPPについてはやっと動き出したようです。野田首相もはっきりと言明しませんが(彼らしいところですが)アメリカ大統領にも催促されたし、ここは強引に進めないと国際的な評価の下落につながるでしょう。おじさんは推進派なので、それでよいと思っています。
 
 さて昨日一つ再就職先からのオファーがあったのでほっとしました。と言っても来年の4月からですが。来年の2月くらいからはもっとオファーがあると思います。今回オファーのあった学校は詳しく書けませんが、ちょっと特殊な立場の学校なのです。(良い意味で)決定したらもう少し詳しく書きます。
 
 ところで定年後4年目です。おじさんの年代(昭和22年から23年3月まで)にとって64歳は節目の年です。この年齢になった順から年金が全額もらえます。おじさんは23年の2月なのであと3ケ月しないと満額もらえません。22年の4月生まれの人はすでに満額もらっています。
 
 おじさんは定年3年くらい前から定年後について考え始めました。選択肢としては、定年後継続任用される、予備校や私立高校で働く、何もしないこの3つが公立高校教師の定年後のコースです。年金が60歳支給のころは継続任用はありませんでした。それで、予備校や私立高校(定年が63歳とこ65歳のところ)で働く人も多かったです。
 
 ちなみに教頭までは教員と同じコースです。教頭職のままの再任用はありません。教員にはもどれないので、講師として働くことになります。校長の場合は、キャリアと同じように天下り先が用意されています。ほとんどは専門学校の校長です。まれに大学の募集担当になったりします。(肩書きだけは立派で、事務局理事とか事務局参事とかです。)予備校の校長になる人もいます。以前は私立高校の校長になる人もいたのですが、今はほとんどいません。
 
 依頼のあった学校に順に天下るので、有力な専門学校に行けるとはかぎりません。国語教師出身の校長なのに、ミュージック専門学校に行ったり、体育教師出身なのに観光ビジネス専門学校の校長になったりします。
 
 校長の仕事は各高校の進路指導室をまわって、学生募集をします。ところでおじさんですが、3年前に同僚の先生の話を聞いて海外で働くことを思いつきました。もちろん中国に行くとは思ってもみませんでしたが。やはり定年の数年前からどうするのか考えていたほうがいいと思います。
 
 おじさんの場合はそのための準備に1年かけたからです。その結果中国で働くことになりました。仕事を探したのはインターネットのサイトです。冷やかしに応募したのに偶然採用され、その後3年過ごすことになりました。と言っても再任用を半年やりました。企業と同じ悩みがありました。それは給与が半分とはいいませんが、数十万円単位で下がります。
 
 教師の場合完全な年功序列(管理職になれば別)なので、定年直前が一番給与が高いのです。それが、就職5年目の30歳まえの教師と同じ給与になります。しかし、仕事内容は変わらないのです。おじさんも最初は仕事があるだけでもよいかと思ったのですが、いざやってみると結構辛いです。
 
 一層窓際族として扱ってくれればよいのですが、給与は駆け出し教師並みなのに、仕事は超ベテラン並みです。民間企業の人の悩みも分かる気がしました。おじさんは偶然半年で中国に行ったのですが、そうなって本当によかったです。実は毎日日曜日だと飽きると聞いたので、フルタイムの仕事にしたのです。
 
 今毎日が日曜日なのですが、結構過ぎて行きます。来年の春からでも週に2日くらい働いて、好きな勉強を1日くらいして、残りはぶらぶら過ごし計画を立てています。生活に困らなくてもやはり無職というのは辛いからです。おこずかいとちょっと旅行に行くくらいは稼ぎたいと思っています。
 
 おじさんは定年退職者の中でも極端に恵まれた人だと分かっています。しかし、それは就職した時は分かりませんでした。人間の運命は誰にもわからないのです。当時はデモシカ先生(先生にでもなるか、先生にしかなれない)などと揶揄された仕事だったのです。
 
 また教師はつぶしが効かないから定年になっても仕事がないと言われました。時代は高度成長の真っ盛りで大卒は引く手あまたでした。おじさんの卒業した文学部に入学した時は、穀つぶし扱いでした。文学部など金持ちのお坊ちゃんか小説家志望の変人の行くところだったのです。
 
 まだお若い読者の方にお勧めするのは、もし共働きでなかったら無理をしても社会保険のある仕事に奥さんについてもらった方がいいです。。夫婦に年金があると相当楽です。教員は完全に男女平等賃金なので、定年後年金をもらっている人は生活が楽になります。もちろん夫が出世まっしぐらなら無理ですが。
 
 出世はそこそこでよいなら、同僚との飲み会などやめて家事にいそしみ働く奥さんを助ける方が老後には絶対有利です。今68歳とか70歳で給付開始と言っています。今でも女性の方が給付開始年齢が早いのです。ですから男性が無収入時代に奥さんの方が年金を受給して助かるということになります。
 
 また、若い頃に人生を謳歌するのもいいのですが、個人年金に入ることもお勧めします。おじさんもそんなに考えずに個人年金に入りましたが、いざ年金生活に入って本当に有難味が分かりました。公的年金では絶対に不足します。定年後ちょと余裕のある生活をしたいと思ったらアリとキリギリス(アリとセミという説もありますが)ではありませんが、やはり若い頃にせっせと貯蓄するのがいいです。
 
 さらには定年後出来る仕事を考えておくのもよいでしょう。おじさんは国語教師の資格でなく、日本語教師の資格を活かしました。しかし、この資格を得るために数十万円の授業料と1年間の授業を受けました。中国では1000元の待遇の違いの出た大学院にも150万円かけて行きました。自己投資のためにどう考えても200万円近く使いました。
 
 これは価値観の問題です。200万円かけて自動車を買ってもよいし、毎月二万円くらい飲代につかって20年間すごしてもよいし、パチンコに同様のお金をかけてもよいし、ゴルフにかけてもよいと思います。おじさんは、お酒もお家で飲み、パチンコもゴルフも立派な車もほしくありませんでした。(我慢してしたわけでなく、別にしたいと思わなかったからです。)
 
 ただ好きな勉強をしたいだけで、それが偶然定年後に役にたっただけです。読者のみなさんは悔いのない定年後の生活を送るため今から準備してください。それは一人一人違って良いと思います。今言えることは、自分の定年後の人生は悔いが残らなかったというでけです。
 
 明日は大学で授業発表があります。