新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

おじさんの大学時代

 今日も朝は寒かったのですが、午後からは暖かくなりました。今週末はまた雨のようですが、とりあえず明日までは持ちそうです。株価の方は下落です。ストップ安だったオリンパス上場廃止がないと決まった途端上昇に転じています。現金なものです。
 
 昨日はソフトバンクが快勝したので気分がいいです。やっと打者の活躍が目立ってきました。今日勝ってなんとか五分の星にしてもらいたいものです。娘のところに手伝いに行ったツマクマは金曜日くらいまで居ることになりそうです。仕事を持ちながら家庭を切りまわすのはなかなか大変だと思います。
 
 ツマクマもそう家を留守にできないので、交代でおじさんも行かなければならないかもしれません。おじさんも一応家事の基本的なことはできます。それに孫の保育園のお迎えとか、留守番くらいだたらできます。
 
 さて、先日大学院に留学している学生さんのレポート発表のお手伝いをしながら、自分の大学時代を思い出しました。今若者から団塊の世代はバッシングを受けていますが、若い方は団塊の世代の大学生生活をご存じないのではと思いました。
 
 確かに大学紛争はあっていましたが、おじさんの大学ではそれとは別に授業はちゃんと行われていました。短期間学園封鎖で休講の時がありましたが。おじさんが大学生だったのは、昭和41年~45年までです。西暦なら1964年~1970年までです。
 
 時代は高度成長期直前でした。社会はすっかり復興し自動車も電化製品もかなり普及しつつありました。入試は個別入試です。センター試験などはありませんでした。この時代の大学進学率は18%くらいだったと思います。高校進学率でも65%くらいだったと思います。10人のうち3人くらいは中学卒業後就職していました。
 
 集団就職がニュースになった時代です。大学は地方公立大学で授業料は3万6千円でした。月3000円だったのでよく覚えています。文学部の国文科です。今では学科も増え国文科はしゃれた名前に変わっています。当時は英文科と国文科しかありませんでした。
 
 大学の敷地は国有地を払い下げてもらったものです。昔陸軍の駐屯地だったようで、何となくそんな雰囲気がありました。おじさんが入学したころでも、当時の古い建物が残っていました。先輩によると、戦争中自殺した兵隊の幽霊がでるなどと言って脅かされたものです。ただ開学当時学部が少なかったので、狭い敷地をもらたようで、学部拡大後もそれが災いしました。
 
 現代の大学生と決定的に違うのは服装です。流石に学帽をかぶる学生はいませんでした。(応援団は除く)それでも売店では売っていたようです。学生服の学生も結構いました。ボタンだけ高から大に代え、校章と学部を示すバッチをつけていました。(経済はE・文学部ならL)など。
 
 アルバイトも当時から盛んでした。おじさんは家庭教師が専門で結構かせいでいました。作業現場の仕事もありました。アルバイトの話は又書きます。引っ越しの手伝いなどもあります。当時はコンビニも居酒屋もありませんでした。サークル活動も当時から盛んでした。ほとんどは大学の学生会に所属していました。おじさんは「心理学研究会」(心研)に入っていました。
 
 よく勉強もしました。おじさんたちは、先生から課題を与えられると図書館で調べていました。司書の人と顔見知りになると書庫にも入れてくれました。現代の大学院生くらいしか知らない特殊な辞書を使って調べていました。卒業後当時の知識が役にたったのは、前述した学生さんの大学院入試問題を解く時だけです。
 
 例えば、「節用集」・「日葡辞書」「類聚名義抄」などです。言い忘れましたがおじさんは、国文科でもマイナーな国語学(文法学)を専攻したのです。ゼミ生は8人くらいで男性が2人と女性が6人でした。とにかく皆良く論文を読んでいました。おもしろ論文が見つかると、お互いに紹介しあったものです。
 
 教養書を読むのも当時の常識でした。岩波文化真っ盛りの頃で、サークルの先輩から卒業までに岩波新書を200冊読めと言われました。また当時は哲学書や東西の古典を読むのは常識でした。それでカントやキルケゴールニーチェなどを読みました。(ヘーゲルは挑戦しましたが、余りの難解さにあきらめました。)マルクスエンゲルス毛沢東の著作も一部読みました。
 
 西田幾太郎も読みました。おじさんが影響を受けたのはキルケゴールの「死に至る病」です。それと波多野精一の「時と永遠」です。現在の信仰はこの二人から来ています。また団塊は理屈ぽくて議論好き、あるいは理想主義とか頭で考えすぎと言われますが、確かにお酒を飲むと議論したものです。例えば「神は存在するのか」とか「愛の本質」は何かなどです。倉田百造の「愛と認識との出発」なども読みました。
 
 ただ良かったのは物事の本質を考えることができたこと、また様々な意見があることを知ったことです。大学の授業は全く出席をとりません。先生と友達状態などありえませんでした。ひたすら尊敬するばかりです。大学の成績が就職と無関係なのは現在と同じです。企業就職が良かったので今のような公務員人気はありませんでした。
 
 今と違って学部別の就職選考だったので、おじさんたち文学部の学生が民間企業に就職することはほとんど不可能でした。(新聞・出版系は別。スーパー業界も採用してくれました。)ただ大都会は子供の数が多くて中学・高校の教員の採用が好調でした。それで、同級生も関西・中部・関東の大都市圏に就職しました。
 
 いつか、高校以下の時代についても書きますが、どの時代も決して楽ではなかったことだけは確かです。明日は久しぶりに大学の授業があります。