新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

アルバイトの思い出

 今日は朝から雨でした。結構激しく降っています。火曜日から娘の家にお手伝いに行っていたツマクマも帰ってきました。今日は日本シリーズもないのでつまらないです。
 
 このところ株価も低迷、TPPの騒ぎも一段落で政治もつまらなくなりました。野党になった自民党も消費税問題やTPP問題、社会保障問題(年金問題)などでもう少し積極的に動くかと思ったら、与党民主党の批判ばかりです。それに、大臣のスキャンダル探しで、これまでの野党だった民主党とそれほど変わりません。
 
 こんな調子で与党に復帰したとしても(間違いなく復帰するでしょうが・・なぜなら他に政権を保てる政党がないから)政策の手足を縛られるでしょう。なぜなら、民主党が野党になった時、いくらでも自民党の政策の変更を指摘できるからです。
 
 まあ、そんなことはどうでもいいのですが。それに日本だけでなくアメリカや他のヨーロッパの国でも政治の行き詰まりは同様です。世界中が来年は政権交代に見舞われそうです。
 
 さて、経済も手詰まりだし、こんな時は昔話でもブログで書くしかありません。この数日昔のことを書いてきました。今日もその続きです。おじさんが大学生の頃はどんなアルバイトをしていたでしょうか。考えてみれば色々やりました。
 
 昨日も書いたように、中学高校時代は親が絶対アルバイトを認めてくれなかったので、アルバイトを始めたのは大学に入学してからです。当時アルバイトニュースのようなものはなく、学校の掲示板や先輩友達の紹介が中心でした。
 
 入学後2月くらいたって、ペプシコーラのアルバイトがありました。デパートの地下で宣伝販売をしました。昭和41年のことです。コーラが出回りだしたのは、昭和30年代後半のことです。まだまだコーラを飲む習慣がなかったのです。屋上なら暑いしよかったのですが、なぜか地下でした。
 
 上司は支店の課長さんでした。ところがるおじさんは恥ずかしくてなかなかお客さんに「コーラーいかがですか」が出ませんでした。また売れても「ありがとうございます。」も出ませんでした。それでも慣れてくると出るようになりました。ところがうっかり「コカコーラいががですか」と言ってしまって、上司から「もう一回言ったらクビだぞ」と言われました。
 
 1週間しましたが、バイトの終わり頃には「○○君仕事がなかったらうちに来い。」と言われました。バイト料はどうも外資系なので、アメリカの単価を基準にしているようで、信じられないほどよかったです。何と言っても1ドル360円の時代です。今の貨幣価値で言えば時給1000円くらだったと思います。
 
 文人のおじさんながら、肉体労働は2回だけやりました。1回は1日で終わりです。それは発電所の建設現場の手伝いです。日雇いで、1日働くとその日の帰りに給料をくれるのです。ところが、現場に行って手伝いをしていると、現場のおじさんが「にいちゃん、ケガでもしたらあんたの父ちゃん母ちゃんに申し訳ないから、ぼちぼちやってくれ。」と言われました。
 
 現場のおじさん気をつかってもらった上に、給料を貰うのは余りに申し訳ないので1日でやめました。もう一つのアルバイトは、観光バスのシートの組み立てです。おじさんの時代、春休み中は余りアルバイトがありませんでした。それで、30日間このバイトをしました。ドリルで鉄パイプに穴をあけ、そこにボルトで他の部品を取り付けるのです。
 
 組み立て終わった椅子は倉庫に運びます。おじさんはドジなので、左右反対に取り付けたりして怒られました。やはり技術職は無理だと思いました。賃金は安く多分時給は現在のお金で言えば600円くらだったと思います。
 
 サラリーマンもどきも1回だけやりました。現在のNTT、かっての電電公社です。FAXのような機械の修理をする現場事務所でした。コネがあって、その関係でアルバイトをさせてもらったのです。そこで覚えたのは電話の応対です。最初は何と言ってよいか分からなかったのですが、みよう見まねで覚えました。
 
 ある時現場事務所からビルの事務室へ来てくれと言われました。行ってみると実は「給与を袋に詰めるので、中身を確認してくれ」と言われました。大事な仕事なので相当緊張しました。今でもその時の光景を覚えています。電電公社の人の給料が意外に安いのが印象的でした。
 
 本職は家庭教師です。最初は先輩の紹介で大学1年の秋ごろから始めました。先輩は4年生で就職活動などがあるので、まわってきたのです。それからは口コミで次々に仕事が回ってきました。おじさんがもともと先生になりたかったので、家庭教師に向いていたのかもしれません。
 
 主に中学生を教えましたが(もちろん国語でなく英語と数学)、高校時代の担任の先生からの紹介で高校2年生を教えたことが1度だけあります。これは良いバイトでした。現在で言えば週2回英語と数学を教えて月4万円と言ったところです。大学3年の頃は3か所くらいで家庭教師をしていました。生徒さんは言いませんが、(生徒さんはお兄さん)親語さんは、「先生」とおじさんのことを呼んでくれました。
 
 そう言えば教会学校の先生も大学3年生からやっていて、そこでも子供たちから「先生」と呼ばれていました。家に電話がかかってきて「○○先生いますか」と言うので兄弟は最初めんくらったそうです。ですから本物の先生になっても違和感はありませんでした。
 
 こうしてアルバイトに励んだので大学生活は豊かでした。卒業する時に初任給くらいのお金が残りました。もちろん、昨日書いたように勉強もきっちりやりました。まあ恵まれた大学生活だったと思います。
 
 明日はのんびり過ごします。孫たちも来ます。