新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

来年のシラバス(授業計画)を作りました。

 今日は朝から久しぶりに晴天です。それで午前中は布団を干したり、洗濯ものを干したり忙しかったです。もちろんツマクマのお手伝いだけですが。
 
 相場はやや下がりましたが、朝に比べて午後は戻しています。昨日書いたように、下げ相場はひとまず終わったと思います。アメリカの株式相場が100ドル以上下がったのに、日本ではそれほど下がりませんでした。ということはやはり様子見気分と言ったところなのでしょう。
 
 新聞などを見ると景気後退が報道されていますが、おじさんの家の近くでは、新規に宅地開発(といっても小規模開発ですが)進んでいます。またアパート需要も多いようで、新築アパートがあちこちに建っています。最近の傾向は古い大きな家を壊してマンションやアパートを作っています。
 
 おじさんの家の近くではバイパスができてその周辺の商業集積が進んだため、開発が進んだのかもしれません。古くからある商店街の辺りは逆にさびれてきています。銀行もバイパス沿いに移転しました。それに郵便局も新しくできました。
 
 さて、今日は来年から授業する予定の工業系の学校のシラバスを作りました。工業系の学校なので、授業時間も年間60時間程度です。ですから現代文・古文・漢文を全てやるとなると、それぞれの科目をやる時間は本当に少ないです。
 
 特に古文・漢文は本当にさわりの部分しかやれないようです。1年生の時は全て現代文だけで、古文漢文は2年生になってからです。教科書は一応「国語総合」という現代文・古文・漢文の全てが掲載されているものを使います。
 
 小中学校と違って、高校では教科書選択はそれぞれの学校に任されます。またどの教材をやるのかも各学校にゆだねられています。その点義務制の学校に比べて、高校は各学校というより教える教師の自由裁量が大きいのです。どこかの地区のような教科書を巡る問題など起こりません。
 
 ですから、普通高校にいた時など、しょっちゅう教科書会社の人がやってきていました。もちろん教科書の売り込みです。1校とってもらえると1学年400人ですから大きいです。普通1年で教科書を買うと2年まで継続で買うことが多い(3年はコース選択なので)ので、2年間だと800冊売れます。
 
 10校選んでくれると8000冊ですから大変な数です。それ以外に「国語便覧」や国語辞典・漢和辞典・古語辞典・漢字練習・古典文法・漢文練習その他問題集など売り込みにきます。先生方は授業で忙しいのですが、担当者も必死です。話を聞いてももらえないと、売れないからです。
 
 教科によっては問題集くらいしか買わないところも多いです。一番買うのが国語科で次が英語でしょう。その次が社会です。理系はほとんどありません。
 
 シラバスというのは10年くらい前からはやり出しました。年間授業計画のことです。それまでは、年度当初に教えに行く先生が決まって、(教科書は前年に決めます。)1学期でどの単元を教えるか簡単に決めて、その後の進度や生徒の実態に合わせて2学期以降を調整していました。
 
 現在はほとんどの学校で1年間分まとめてやるようです。もともとは大学から始まったのですが、次第に高校でもやるようになりました。とは言っても生徒の実体や授業時間などの調整のため内容を変えたりします。
 
 シラバスの中心は授業でやる教材とその教材で何を学ばせるかです。生徒さんは余り関心はないようです。4月にシラバスを貰っても、10月頃になるとそんなものはなくしています。読者のみなさんも学生時代は1学期の初めにもらったプリントなぞどこかにやってしまっていると思います。
 
 なかにはまじめな学生さんがいて、「先生次にやるのは○○ですね。あの単元をやるのを楽しみにしています。」などと言ってくれます。大体そんな学生さんは成績が優秀です。現職のころは生徒による授業評価というのがありました。これにはちょっと疑問があります。
 
 授業中寝ている生徒も、内職して注意される生徒も、宿題を出さない生徒も皆教師を評価する権利があるのです。そんな連中から、先生の教え方は悪いなどと評価されてはたまりません。「お前たちにそんなことはいわれたくない」と思うのですが、時代の流れですから仕方ありません。
 
 それに基づいて大阪のように教師評価がつけられ、Dが2年続いて失業などという法案が通ったらばかばかしくて教師になる人が激減するかもしれませんね。教師の世界も昔は牧歌的でよかったのですが、だんだんせちがらくなりました。「デモシカ教師」(教師でもなるか、他の仕事は無理で教師しかなれない)の時代がなつかしいです。おじさんは、このデモシカ教師に教えられました。本当に色々な先生がいました。
 
 大学を出て戦争に行って、帰ったら仕事がないので、山で炭焼きをしていたら、教師が不足しているので教師になった先生や、戦車隊にいて復員して教師になった人、学徒動員でポツダム少尉(敗戦で少尉に昇進)となって先生になった人もいました。生徒の対教師暴力などありません。
 
 なんといっても先生の方が死線をくぐりぬけて帰ってきているのですから、迫力がなみでなかったです。授業の合間に戦争でいかに死にそうななったところを生き抜いたか話していました。そんな話を聞いている先生の中学・高校生が反抗などできるはずはありません。
 
 明日はのんびり過ごします。