新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

冬の日の思い出

 今日はこの冬一番の冷え込みでした。朝起きたら、窓の結露が凍結して氷になっていました。雪は昨日から少し降りましたが、今日はほとんど降っていません。
 
 今日は本屋さんに行って定期立ち読みの経済週刊誌を読みました。ついでに民族派の月刊誌も拾い読みしました。民族派の人も、政界の混乱で困っているようです。特にこれまで支持していた自民党自身のあり方も野党になって変わってきました。
 
 ある雑誌では期待する政治家について特集していましたが、かんじんの自民党党首についての評価は低いです。そうなると次の党首に誰がなるのかということになりますが、今のところ自民党党内も混とんとしています。幹事長の石原さんもお父さんが新党結成の動きをみせているので、困っているでしょう。
 
 さて、このところ難しい話しばかりなので、おじさんが子供の頃の冬の思い出について書きます。まず思いだすのは、おじさんが子供の頃(昭和30年代~40年代)は冬にとても雪が多かった気がします。その頃住んでいたのは、今住んでいる所からちょっと離れた(車で40分くらい)街です。
 
 当時住んでいたとろこは、皆さんからは暖かい地方だと思われています。しかし、海に面しているので結構寒いのです。中国西南部の大学に勤務していた時もそうですが、中国東北部では建物には完璧な暖房がほどこされているので、冬でも建物の中は暖かいそうです。
 
 ところが西南部はもともと暖かいと思われているので、(事実夏には40度になることもあります。)暖房設備が大学の古いキャンパスにはありません。(新しいキャンパスには冷暖房があります。)ところが去年などは、9年ぶりに雪が降りました。だから東北部から来た学生さんは寒い寒いと言っていました。(マンションは冷暖房完備です。)
 
 おじさんの子供時代も、夏は40度近く気温が上昇するのに、冬には雪がつもりました。朝学校に行くとバケツに薄氷がはっていました。と言っても、もちろん豪雪地帯のようなことはありません。10センチくらい降るのがせいぜいです。
 
 ただ子供時代(小学校から大学まで・・同じ町で過ごしました。)2回くらい大雪が降りました。1回目は年も覚えています。昭和38年です。38豪雪(サンパチごうせつ)とよばれます。この時の事はいまでも覚えています。なぜならおじさんが高校受験した年だからです。団塊の時代ですから、受験の競争率が高く大変でした。(それに当時は受験科目が何と9科目もあったのです。5教科の他に音楽・美術・体育・技術の試験がありました。)
 
 私立高校の受験の日、雪が降ってバスが動かないので歩いて受験校まで行きました。無事合格し、公立高校も合格したので、そちらに行きました。1月の間毎日雪が降っていました。高校入試が終わって卒業し、クラスの仲間と近くの700メートルくらいの山に登ったら、山影に雪が50センチくらい残っていました。(3月春のことです。)
市内の400メートルくらいの台地の集落では2メートルくらい雪が降って閉じ込められて、救援隊が出たと報道すれました。
 
 小学校や中学校の頃は雪が風と雪中行軍といって、授業は中止になって、全校生徒で近くの山(歩いて1時間くらいの所)に歩いて行きました。おじさんの中学のある地域は企業の社宅や国立大学の官舎(当時は大学の先生も官舎に住んでいました。)のある市街地だったのですが、山の辺りは畑地でした。
 
 雪で道が見えないので、誤って肥たご(人糞を腐らせて肥料にするため貯めている所)に落ちたりしました。先生が水道の水で洗ったそうです。おおらかな時代です。中学校には井戸があって、そこの水は冬でも暖かいので、そこの水で掃除をしていました。
 
 木造校舎で、床も木だったので、床磨きを雑巾でやっていました。今はライバルの中学と統合されています。戦後すぐ、ライバル校は一中、おじさんの中学は二中と言って、市内大会ではライバルでした。(おじさんが中学の頃は地域の名前の中学になっていました。)一中は旧市街地、二中は新興住宅街です。前者は商売や自営業者の子弟が多く、おじさんの方はサラリーマンや公務員中心です。ですから二つの中学は校風が違うのです。
 
 体育だけでなく、ワルの連中もよく殴り込みに行ったり、来たりしていました。というとおっかない中学のようですが、おじさんの中学からは過去に自衛隊のえらい人や県知事が出ています。大学の3年か4年の時も大雪が降りました。
 
 大学は郊外にあったのですが、校舎の影を歩いていると溝に落ちてしまいました。雪が何と30センチも積っていたのです。なぜ覚えているかというと、電車がストップして後期の試験が中止になったからです。その後は5年間くらい他県にいて、さらに数年して今住んでいる街の来ましたが、子供時代のような豪雪はなくなりました。
 
 高校に勤務時代スキー修学旅行として長野県に行った時、2メートル以上の積雪の風景を見ました。新潟大学を卒業した先生は3メートル以上雪が積み上がっていたと話していました。
 
 週末から暖かくなるそうなのでうれしいです。明日は誕生日64歳になります。うれしいのは64歳で年金が満額になることです。といっても4月支給からになります。やっと預貯金の取り崩し生活が少し緩和されます。