新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

天才はなぜ現れないのかー「雑説」から考える。

 今日は朝からと言うより夜明け前から雨になりました。久しぶりの本格的な雨です。1日中降り続けるようです。ツマクマは足が少し良くなったので、今日から以前やっていたヨガに行くことにしました。それでおじさんは留守番です。
 
 ギリシャでは財政再建の法案が国会を通過したようですが、本当に実施できるのか疑問視されています。日本の若者と違って不満を持つ若者は国会前などで騒いでいます。中国でも内陸部の有力者の側近が失脚したとも、アメリカへの亡命を求めたとも報道されています。
 
 今日はそんな国際情勢ではなく、ある方から質問のあった「なぜ日本では天才が出現しないのか。」ということについて書きます。と言ってもおじさんのような浅学非才なものの意見など何の役にも立たないので、古代中国の著名な文学者の文章から見ていきましょう。
 
 タイトルにある「雑説」は「とりとめもない文章」くらいの意味です。著者は韓愈と言って8世紀頃の文人兼政治家です。彼の名前はご存じなくても、「推敲」という言葉はご存じの方もいると思います。意味は文章を何度も練るという意味です。この諺の語源になったのが韓愈とある若者の話なのです。
 
 韓愈は首都の長官(日本の東京都知事)をするような高官なのです。それでは本題に入ります。折角の機会なので、昔勉強した漢文の復習もやってみましょう。
 
 著者はまず、「世に伯楽有て然る後に千里の馬あり」と言います。伯楽は天才を見出す人、千里の馬は天才の譬えです。以下同様です。つまり天才が世に出るためには、その天才を見出す人が必要なのです。続いて「千里の馬は常に有れど、伯楽は常にはあらず」と言います。問題は「常にあらず」でなく「常にはあらず」です。漢文で書くと前者は「常不有」で後者は「不常有」なのです。
 
 前者は「いつもいない」で、後者は「いつもいるわけではない」となります。問題のポイントは天才はいつの世にもいるのだが、それを見出す人がいつの時代にもいるわけではないと言っているのです。著者は、もし千里の馬が伯楽に見出されなければ、むなしく馬小屋で首を並べて死ぬと言います。つまり、天才はいてもその才能を世に表すことなく、世に埋もれてしまうというのです。
 
 ところで、千里の馬が、その才能を理解できない人に飼われたらどうなるでしょうか。著者は「千里の馬は1回の食事に穀物を一石も食べつくす。」と言います。つまり、天才には天才にふさわしい待遇が必要なのです。もし、天才にふさわしい待遇をしなければどうなるでしょうか。
 
 著者は「食不飽 力不足 才美不外見」と言います。これは原文です。読者のみなさんも何となく意味は分かると思います。おじさんも中国にいた時、昔の文章はこんな感じなので結構読めました。意味は「もし、食べ物が不足するならば、力不足でその才能も外に現れない」と言うのです。さらに、普通の馬と同じようにしようとしてもできないといいます。(原文は「常馬と等しからんと欲するも得べからず」)
 
 譬えて言えば、お相撲さんに、普通の人と同じ量のご飯を食べさせたのでは力がでないでしょう。その上、千里の馬を前にして、世の中には千里の馬がいないと言うのです。著者は結論として、世の中に千里の馬がいないのだろうか、それとも千里の馬(がいるのにそれを)知らないのだろうかと嘆きます。
 
 まとめると、天才はいつの時代にもいるが、それを見出す人は少ない。また天才にはそれにふさわしい待遇をしなければ、才能はムダに終わってしまいます。それどころか、天才を普通の人と同じように扱えば、普通の人以下の力しかだせない。つまり天才がいないといって嘆いているが、天才はいるのだ、しかし、それを見抜く人がいないのだということになります。
 
 企業でも大学でも研究機関でも同様だと思います。天才を見出し、思う存分やらせてやるなら、その成果がでるでしょう。その代わり、他の普通の人とは違った扱いをするのでやっかみや嫉妬がでるでしょう。それを抑えることができるかどうかが組織あるいは上司の腕なのです。
 
 そう言えば江戸時代にいた平賀源内は天才でした。江戸時代にすでにエレキテルという発電機を発明しました。しかし、彼を受け入れてくれる伯楽はおらず、虚しく獄死したと聞きます。また江戸時代にすでにグライダーを作った人がいたとも聞きます。彼も世を騒がす不届きな奴とされたそうです。
 
 現代のような開かれた時代であっても多分同様だと思います。天才・異才はどの時代でも生きにくいのです。まして日本の学校のような全員同じ制服を着て、同じ教科書で同じ時間だけ勉強するようでは天才が出現するのは無理でしょう。企業でもそうです。20代の天才的な若者に勤務時間は自由、給与は1000万円、研究費は使いたいほうだいと言うわけにはいかないでしょうね。
 
 そんなことをしたら、他の平凡な社員はやる気をなくすでしょう。天才を世に出すというのは、本当に難しいことです。
 
 明日はのんびり過ごします。