新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

二つの船中八策ーその違いはどこに。

 今日は午前中から晴れてきました。気温も上昇して過ごしやすかったです。先週の前立腺の検査は、基準値を下回ったので安心しました。今飲んでいる薬は、ピサの数値を下げるものですが、半年してやっと効き始めた感じです。それでも、薬は飲み続けなければならないようです。
 
 年金も64歳の誕生日が来たので、4月から満額支給になります。その通知が来ました。年金は現在三分の二支給です。生存が確認されてから出るので、2月支給でなく4月支給となるのです。これで何とか生活が成り立ちます。
 
 さて、今日は昨日書いた船中八策について考えてみました。名前は同じでも実際は全く違ったものだと思います。竜馬の船中八策は当時の社会に大きな影響を与えました。しかし、今回の維新の会の船中八策はそれほどの反響はありませんでした。(ヤフーブログを見る限り評価せず8割、評価する2割と言ったところです。)そこでなぜなのか考えてみました。
 
 まず八策の提唱者について考えてみました。坂本竜馬と橋下氏の最大の違いは何でしょう。竜馬には政権中枢に座ろうという気持ちは全くありませんでした。もちろん、途中で暗殺されましたが、もし暗殺されなかったとしても、明治政府の高官になって、生涯を送ったとも思えません。
 
 一方橋下氏は最初から政権への参画を考えています。府知事から市長への転身も明らかに自らの政策を実現するためのものです。また、竜馬は薩長同盟を結ぶために尽力しました。調停者としての役割を果たしています。明治になってこそ薩長政権と言われますが、もともと犬猿の仲だったのです。
 
 その敵対する二つの勢力を結びつけたのが、竜馬だったのです。一方橋下氏の言動は全く真反対です。議論をしても絶対に相手の言い分を認めず、勝負にこだわるのが特徴です。つまり、同じ船中八策という名前がついていても、提案者の生き方が全く別なのです。
 
 次に政策提案について考えてみましょう。竜馬の時代は、圧倒的な欧米列強の前に、何をすべきかという差し迫った危機感がありました。これは当時の知識人全員に共通するものです。同時に次にくる時代にモデルがありました。それは西欧諸国の体制を日本に導入するということです。
 
 具体的には議会制度です。江戸時代の政治体制では、現在の危機は乗り切れないと考えていました。福沢諭吉の「学問のすすめ」などにも、同じことが言えます。封建制度を打破して、新しい時代を作らなければならないというのは、当時の知識人の意見でもありました。
 
 同時の当時の庶民と武士を中心とする知識人との情報の差は大きなものがありました。ですから、下級武士を中心とした、新しい政治勢力が庶民をリードすると考えていました。(啓蒙主義とも言います。)また、グローバリズムではなく、個別国家主義とでもいうものでした。
 
 現代はどうでしょう。政治が行き詰っているのは同じですが、それを打破する方法のモデルは世界中どこにもありません。世界中の先進国も新興国も行き詰まりを感じています。(EUアメリカ・中国・インドなど)それに国民全体の知識レベルも上がりました。
 
 また、グローバル化の進行に伴って、日本1国だけでは解決しない問題も多いです。また、国民それぞれが望むものも違ってきています。国民全体をまとめる政策というものを打ち出すのは極めて困難な状況です。(原発政策・TPP・社会保障制度・消費税など)
 
 これらのことから、二つの政策が社会に与える影響は大きく違うと思います。というより、名前は同じでも全く別のものと言ってもよいでしょう。それなら、なぜあえて竜馬と同じ命名をしたのでしょうか。そう考えると、今回の命名はマスコミ受けを狙ったものとしか思えません。
 
 竜馬が生きていたら、薩長同盟の代わりに民自連立政権をめざしたかもしれません。いずれにしても、橋下氏の政策は、実現困難なものが多く、この政策だけで政権を白紙委任するように求めるのは無理だと思いました。
 
  明日はのんびり過ごします。