新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

現代社会と中国古代思想ーハシズムを中心に

 やっとブログを書くことができるようになりました。昨日まで別荘に行っていました。この数日は雨でしたが、今日からは晴れるようです。2月逃げると言われるように、2月はあっと言う間に残り1週間を切ってしまいました。3月には、中国の大学で教えて学生さんたちが家に遊びに来ます。
 
 一人は現在大学院の学生さんで、もう一人は交換留学で日本の大学に来ています。1年の予定で、今大学3年生です。前者はおじさんの指導学生さん(日本でいうゼミ生)で後者はツマクマが教えた学生さんです。
 
 このところ円安が続いて、株式相場も好調のようです。株式を保有されない方にとってはどうでも良いことかもしれませんが、株式相場が上昇すると利益を得る人も多く、最終的には購買力の向上につながり、景気回復にも良い影響がでます。
 
 さて、相変わらず橋下市長は様々なアピールをしているようです。橋下氏もそうですが、マスコミ受けする政治家は常にマスコミの注目を浴びていなければならないでしょう。そのような政治家はマスコミから忘れ去られることは致命的だからです。(学者でもそうですが、本当に優れた学者はマスコミ受けなどせず、地道にやるものです。)
 
 小中学でも留年制を実施したいと言い出したようですが、このことについては又書きます。大阪都政策以外の政策を見ていると、橋下氏の思想的背景というものが明らかになってきました。おじさんが、何を言ってもマスコミや世情の人気にはかなわないので、長らく教えてきた中国古代思想を用いて考えてみたいと思います。
 
 世の中には橋下ファンも多いし、別にブログ上での論争を好むわけではないので、カテゴリやタイトルはちょと目には、橋下批判にならないようにしました。
 
 ここでいう中国古代思想とは、実は性善説性悪説なのです。前者の代表が孟子であり、後者の代表が韓非子です。つまり儒家と法家なのです。橋下氏が弁護士であることから、当然ながら、橋下氏の考えの根本には法家の思想があると思います。
 
 法家の思想の根本は人間不信です。人間の本質は悪である。そのままでは、駄目なので厳しく法によって統制しなければならないと考えます。儒家が人間の本質は善であり、道徳や教育によってきちんとやれるようになるのとは対象的な考えです。
 
 人間はいいかげんなので、少々の罰ではきちんとやりません。そのため法家の基本的な思想は厳罰主義です。今回の市職員特に教員に対して評価が最低でそれを何回か繰り返すなら免職というのがその最たるものです。あるいは人気のない学校は廃校にする、勉強しない小中学生は留年させるなどです。つまり、人間は少々のことでは良くならない、免職・廃校・留年と脅せばそれを恐れて頑張るようになるだろうというのが法家の思想なのです。
 
 韓非は、盗みはした者の手は切り落とすという規定を作りました。ある人がそれでは厳しすぎると言うと、人間は盗みをするのと、手を切り落とされるのとどちらがいやかと言えば、当然手を切り落とされる方だだから、それを考えて盗みはしなくなると言いました。
 
 一方、性善説の代表の孟子は、こう言っています。もし、小さな子供が井戸に落ちようとしたら、それを見ていた人は、はっとしてかわいそうに思うだろう。それは、もし子供を助けなかったら回りの人から非難されるからでも、子供を助けてその両親から何かしてもらおうというからでもないといいます。
 
 それは人間には気の毒なことを見過ごせない心があるからだというのです。もちろん、人間でも悪いことをする人が大勢います。そのような人がでないように道徳や教育を教え込む必要があるというのです。
 
 ところで法家の思想を取り入れたのは、あの中国を統一した秦の始皇帝なのです。彼は逆に儒家を弾圧しました。有名な「焚書坑儒」がそれです。(儒家の本を焼き、儒者を生き埋めにしたそうです。)その後の歴史はご存じでしょうか。秦はまもなく滅びます。ほとんどの高校では漢文の時間に史記十八史略をやります。
 
 漢楚の興亡が秦の後の時代です。項羽と劉邦で知られています。勝者は劉邦です。彼は漢という王朝を作ります。その時彼は、過酷な秦の法を廃止し、法は三章のみと言われる簡素な物にしました。
 
 この歴史は現代にも通じています。現代日本の道徳の基本は法家の思想でなく、儒家の思想なのです。古典のすごさは、時代それも1000年2000年単位の時間を乗り越えて現代に続いている点です。論語に「温故知新」という言葉があるように、古いものを訪ねて新しいものを知ることが必要なのです。
 
 現代社会で橋下氏の法家の思想が好評なのは、法家の思想は短期的にはとても有効だからです。最初人は恐怖から言われたことを守ります。しかし、残念ながら、人を恐怖だけで長い期間導くことはできません。また、リーダーに心から従うことを望んだり、さらに良い物を作りだす努力を求めるのは無理でしょう。どのような制度を作っても、結局はそれを運営する人間の問題なのです。
 
 武田信玄の言うように、人は石垣、人は城です。駄目なものは排除し、良い物だけを残す考えは、人の心を荒廃させます。山本五十六も「人は言ってきかせて、してみせて、ほめてやらねば動かない」と言っています。どんな組織であっても良い者ばかりが残るはずはありません。特に教育現場のようなところで、恐怖を用いて(教師には免職、生徒には留年、学校には廃校)良い人材を養成するなどあり得ないことです。
 
 もし人が重い罪を恐れて、悪いことをするのをやめるなら、殺人を犯す人も、飲酒運転をする人もいないでしょう。合理的に考えれば、どう考えても割に合わないからです。
 
 橋下氏に期待する人には申し訳ないのですが、歴史はハシズムの将来がどうなるかを示しているようです。もし、ハシズムがさらに国民に受け入れられ、政権を担当するようになった時は、このブログを思い出してください。
 
 明日は手すりを付ける工事があります。(介護認定で手すりを1割負担で作るのが認められたのです。)