新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

喜捨についてー中国と日本で考えたこと

 今日は朝から曇り空です。気温はそれほど下がりませんでしたが、ちょっと肌寒い天気です。東京は雨のようです。今日は特に仕事もないので、ぶらぶら過ごしています。
 
 円安が進んでどうも対ドルで80円台突破というところです。それに何とかいう投資会社が2000億円近い損失を出したと報じられていました。企業年金の受託をしていたようで、預けていた中小企業年金は大変です。現在は自己責任の原則ですから、損をしても文句を言う先がありません。
 
 そもそも、こんな低金利の時代に必ず儲けますなどという会社を信じる方がどうかしています。生き馬の目を抜くという民間企業でもこんなことがあるのでしょう。個人の401kなどという年金制度があるようですが、運用はどうなっているのでしょうか。忙しいサラリーマンが運用をいつもチェックするのは難しいでしょうね。
 
 さて、今日は喜捨についてです。喜捨は仏教の用語で、文字通り解釈すれば、喜んで捨てるつまり喜んでささげるという意味です。現代日本では義捐金などの形で震災に向けて多くのお金がささげられました。ところで、おじさんが子供の頃日本にも多くの物乞いがいたのですが、今では全くと言っていいほどみません。社会福祉制度が完備し、豊かになったから、いなくなったのでしょう。警察が取り締まりをしていることもあるでしょう。
 
 中国ではまだ多くの物乞いがいます。一つは職業的物乞いです。最初は気がつかなかったのですが、1年もいれば顔ぶれが同じなので、ああ仕事としてやっているのだと気が付きました。身入りの良いのは、ハンデイーの大きな物乞いです。特に身体に大きな障害があると同情を引くようです。
 
 と言っても、子供連れの女性などはいません。中国人は日本人が考えている以上に同情心が篤いです。ですから、一番身入りを良くしようと思えば、赤ちゃんを抱いて粗末が格好をするのが一番です。しかし、これは少なくともおじさんのいた都市では認められていませんでした。
 
 地方都市でちょっとだけ見かけたことがあります。どうもこの手はさすがに警察も取り締まるようです。職業的物乞いは警察も認めているようです。取り締まられたのを見たことはありません。ある時このような物乞いが成立するからには、誰が施しをしているのか見てみました。
 
 すると意外なことに若者が結構施しをするのです。それから年配の人、またおもしろいと思ったのは、お婆さんのような人が子守をしている子供にお金をやって、施しをさせているのを見ました。中国では街の道端に座って回りの様子を眺めても誰も気にしません。
 
 ですから、おじさんは、中国人のような顔をして、街中を観察できるのです。アマチュアの物乞いのトップは老人です。特におじいさんが多いです。人民服のような粗末な格好をして、ベンチにいる人に手を出します。ある時はマクドナルドの店の中に入って物乞いをしていました。
 
 お店の人が気が付いて追い出しました。と言っても流石に儒教国家ですから、老人をしかりつけたりはしません。丁寧に困りますというようなことを言って出てもらったようです。学生さんは、物乞いがいることが恥ずかしいようです。絶対にお金をやらないでくださいと言います。雲南省に行った時は、食堂に子供が物乞いに来ました。
この時も通訳で来た学生さんが、やらないでくださいと言いました。
 
 日本の高校に勤務している時、文化祭の受付の担当者になったことがあります。その時、受付と同時に盲導犬のための募金をしました。受付に募金箱を置くのです。せっかくだか多くの募金を集めようと思いました。受付では、同時にスリッパを貸し出していました。1回100円の保証金をとります。つまり、100円出して借りて、返すと100円が戻ってくるのです。
 
 人間は、なんでもない時にお金を出すのはいやなようです。スリッパを返して100円を受け取る時に、募金をお願いします。とおじさんの部下にあたる生徒さんに言わせると、募金率があがりました。しかし、スリッパを借りる人は限られているので、さらにどんな人が募金してくれそうなのか考えました。
 
 するとあることを思い出したのです。その前に体育大会の警備をしたことがあります。学校の周りの不法駐車を防止する係です。その時、見るからにヤンキー風の若者がバイクでやって来ました。そして駐輪しようとしたので、ここは駐輪できないし、警察にも依頼しているので、困ったことになるよと話しかけました。
 
 彼は「おじさん先生なの。」というので、「そうだ」と答えると、「おじさん、やさしいんだね。」と言います。「君が駐輪しなければ、私も助かるし、君も助かるからそう言っただよ。」と言いました。
 
 彼はもちろん納得して移動してくれました。その時以来、もしかしたらと思ったことがあったので、できるだけヤンキー風な学生さんに、「かわいい盲導犬のために募金してくれない。良いことをすると気持ちがいいよ。」と言いました。そして、募金してくれた学生さんには「ありがとう。悪いね。」と話しかけました。
 
 まじめそうで、きちんとした学生さんが募金してくれる確率より、ヤンキー風の学生さんの方がはるかに募金してくれる率が高かったのです。多分先生から邪険にされているのに、やさしく言われたからだと思います。
 
 ところで喜捨というのは、喜んで捨てるという意味ですが、何を捨てるのかです。もちろん自分にとって大事なものです。普通はお金か物かということになります。ところが現代社会では、別のものの方が貴重だと思うのです。例えば時間などです。
 
 今一番心を痛めているのは、震災で出たがれき処理の問題です。もちろん放射能に汚染されたがれきは別ですが、安全が保証されたがれきについては各県が引き受けたらどうかと言うことです。喜捨の中には自分の安全のことも含まれるのです。
 
 誰でも面倒なことを避けたいと思います。しかし、皆で少しずつ分け合わなければ、解決しないでしょう。これは今起こっている様々な問題に共通すると思います。沖縄の問題でも、県外の基地に少しずつ分散すればよいのですが、各地で反対運動が起こります。
 
 原子力発電でも全て廃止するなら、電気料金の大幅な値上げを覚悟しなければならないのです。いくらブログで書いても何の解決にもならないでしょうが、こんな話をする相手もいないので、まさにひとりごととして書いていうるのです。
 
 明日は日曜日なので教会へ行きます。