新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

教育の効用の変化-1960年代と現在

今日は寒の戻りで、寒かったです。それに晴天とはならず曇り空でした。外国為替市場は完全に円高傾向です。海外特にヨーロッパの金融不安が又高まったようです。ギリシャでは、緊縮財政から自殺者がでて、それをきっかけに緊縮財政反対のデモが起こっているようです。

 日本も他山の石としなければなりません。財政赤字を甘くみると、ギリシャの二の舞になる可能性があります。支出削減の前に、取りあえず消費税の税率を上げておく必要があります。それについては昨日書いた通りです。

 さて、今日は久しぶりに教育問題について書きます。今教育に関して問題になっているのは、就職難、大学生の学力低下モンスターペアレント新興国の教育熱の向上などです。おじさんが子供の時代にはなかった問題ばかりです。

 就職難については、デフレ不況が原因だということもできるでしょう。しかし、それだけではないと思います。まず大学生について考えて見ると、おじさんが大学進学したころに比べて信じられないほどの大学進学率になっています。もし、大学進学率が、おじさんの時代のように15%くらいであれば、大学生はほとんどどこかの企業に就職できたでしょう。

 そうなると、高校生の就職率が問題になります。これも、当時の高校進学率は60%近くでしたから、今より就職しやすかったでしょう。となると中学卒業生はどうしていたのでしょうか。現在募集しても人が集まりにくい中小及び零細企業に就職していました。

 街の商店(さざえさんに出てくる御用聞きの人などがそうです。)や自動車修理工場などに就職しました。当時は、完全な学歴社会だったのです。つまり、大学進学することは豊かさの一番の近道でした。逆に大学進学以外の方法で豊かになる道はほとんどありませんでした。そういう点では教育の効用は極めて大きかったのです。

 現在問題になっている教育費については、ちゃんと抜け道がありました。国立大学の授業料が現在のお金で言えば月1万円くらいだったのです。つまりちょっとアルバイすれば授業料を払うことができました。公立大学で2万円くらいでした。おまけに国立大学には寮があって、そこに入寮すれば、1月授業料も含めて現在のお金で言えば4万円もあれば生活できました。ですから家計が苦しくても大学進学する道があったのです。(ちなみに、当時の大学生はほとんど学生服でした。高校時代の制服のボタンを変えただけの学生も沢山いました。)

 後は勉強をするだけです。それで当時は受験戦争というのがありました。貧しくても勉強さえできて、国立大学に入学できれば、大企業に入社でき、安定した生活が保障されたのです。当時は公務員など全く人気がありませんでした。その代り4当5落と言われました。つまり、4時間しか寝なければ合格し、5時間寝たら不合格になると言われたのです。

 現在のように塾も予備校もないので、自分で問題集を買ってきて勉強するしかありませんでした。せいぜい旺文社のラジオ講座くらいでした。現在のようなデイベイトなどなく、ひたすら暗記あるのみでした。英単語であれば、旺文社の豆単を1ページ目から最後まで暗記しました。(英単語を3000語暗記するのでは不合格で5000語暗記しないといけないと言われました。)

 英単は覚えたところを食べると忘れないという伝説までありました。おじさんもこの豆単を3回くらい繰り返し暗記しました。それに疑問を持つことはありませんでした。現在のような自分探しなどしていたら、競争に負けてしまうからです。そのような単一の価値の社会では、他人のことなど気にしていられませんでした。

 だから、不登校もなくいじめもなく、引きこもりもありませんでした。受験勉強は自分ひとりの戦いだと言われたのです。だから他人に関わる暇もありませんでした。つるんで誰かをいじめるなど時間の無駄でした。全員働かないと家計が成り立たないので、不登校も引きこもりもできません。

 親も忙しいので、教育は学校にお任せでした。ですからモンスターペアレントもいませんでした。塾や予備校の役割も学校が果たしました。中学では朝と夕方の高校入試のための補習があり、高校では、朝夕の他に夏冬の休みにも補習がありました。浪人生のために名門進学高校は自前の補習校を持っていました。高校に併設してあり、その高校の先生が教えていました。(もちろん今は影も形もありません。)

 中国にいた時聞いた話は、おじさんの高校時代そっくりです。統一試験(センター試験中国版)で低い点数で入学できなかった生徒はそのまま自分の高校で勉強するのだそうです。おじさんが高校時代優秀な成績の生徒の名前と点数が学校の掲示板に張り出されていました。

 中国でも全く同じでした。統一試験の上位者の名前が貼り出されていました。中国でも地方は今でも予備校がほとんどないので、生徒は夜8時まで学校で補習があります。中国でも大学進学するしか豊かになることはできないのです。おじさんの指導学生さんでも、村からはじめて大学に行ったといっていました。勉強をして都市の大学に進学する以外に貧しい環境から逃れることはできないのです。

 中国は日本以上に学歴社会で、高卒・大卒・大学院卒(さらに修士と博士)で日本のお金の価値で言えばそれぞれ10万円くらいの格差があります。高卒が10万円とすれば、大卒は20万円、修士だと30万円、博士で40万円と言ったところです。(中国の大学で日本語教える教師もこの通りです。大卒5000元・修士6000元・博士7000元です。)日本であれば実力主義というところでしょうが、広大かつ多民族国家の中国では、学歴以外に他人を評価する物差しがないのです。

 教育には発展途上の段階では効用があるのです。それに早く気付いた方が勝ちということになります。現在は教育の効用が知れ渡ってすでに、その効用も失われてしまいました。そこから、多くの教育問題が起こっているようです。

 新興国でも、豊かになり教育の効用が知れ渡って、皆が進学するようになれば、教育の効用も失われいくと思います。国が豊になって親が子供を抱え込めるようになれば、不登校や引きこもりがでるでしょう。ただいじめは同質化に異常にこだわる日本独特のものだと思います。中国の学生さんにいじめの話をすると理解できないと言っていました。

 明日はのんびり過ごします。