新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

歴史を学ぶ理由

今日はとても温かい1日でした。それで、洗車をしたり、暴風雨で汚れた部屋の窓を拭いたりしました。それに、先日申し込んだ科目も変更もしました。前回「中国文化研究」と言う科目を申し込んだのですが、シラバスを良く読んでみると、中国語の原典を購読するようなのです。

 中国にいたので、少しは中国語が読めるのですが、本格的な研究書は無理なので、変更することにしたのです。曜日を変えるわけにはいかないので、色々探して結局「人間環境学研究」にしました。内容は環境考古学という聞いたこともない内容です。

 基本的なところから勉強するとあったので、それにしました。最初の中国研究のために勉強すと言う目的からはずれてしまいました。授業が始まったら中国研究をしている先生を訪ねて勉強が可能な科目を教えてもらおうと思っています。

 株価は相変わらず低迷しています。どうもピークアウトしたようです。円高株安のこれまでのパターンが続きそうです。さて今日はブログのお友達の「たっちゃん」の質問に答えようと思います。実は先週「近現代日本史と歴史学」という新書(中公新)を読み終わったばかりなのです。

 まずこの本の紹介からします。副題は「書き換えらてきた過去」です。簡単に言えば、近現代史はその時代の政治や社会状況の影響を強く受けて修正されるのだと言うことです。歴史的事実は変わりませんが、その評価はずいぶん変わるのです。(NHK大河ドラマの「平清盛」などもそうです。)

 そこで、本題に入ります。どうも歴史というと、年表を暗記するようなものを指すと考えられますが、そうではないのです。

 まず個人を例に考えてみましょう。個人であっても歴史があります。自分の歴史だけではありません。いざ相続となるとそれ以前に存在した人のことを知る必要があります。こんな実利的な理由でなくても、普通の人であれば、自分は誰から生まれその人はどこから来て何をしていたのか、知りたいと思うはずです。

 そうでなければ、「母を訪ねて3千里」のような映画ができるはずもないのです。つまり自分という存在を確認するために、自分の歴史を知りたいと思うのです。もちろん過去に自分の歴史を一度知ればそれ以上知りたいとおもわないでしょう。

 さらに社会や国家の歴史についてはどうでしょう。個人というより、ここでは国民という存在になります。国家としては、国民に現在の自分の国や社会がどのような歴史の上に成り立っているのか知ってほしいのです。そうでなければ、国家はとても困ったことになります。文字を持たない民族では歌や踊りの形で部族の歴史を残しています。

 ですから、どこの国でも自国の歴史を必ず学校で教えます。今ある社会も国家も今に至るまでの歴史が存在します。その歴史を理解しなければ、現在の社会や国家を理解することができないのです。保守の人もリベラルの人も歴史にこだわるのはそこに理由があります。

 さらに、歴史的出来事をどう評価するかによって、現在の社会や国家が将来どう進むかが決まります。たとえば憲法改正にしても、過去にアメリカから押しつけられた憲法だから改正しなければならないという意見があります、一方では戦前の誤った国家のあり方を変えた正しい憲法だから改正しない方がよいという意見があります。

 そのどちらも歴史的出来事をどう評価するかにかかっています。さらには、憲法を改正するにあたっては、今の憲法ができる以前の歴史についても考えなければなりません。つまり、先の戦争をどう評価するかにもかかわります。さらには、敗戦以前の国家や社会をどう評価するかにも関わってきます。(先の戦争を自国の防衛戦争と考え、戦前の国家を良かったと評価する人は憲法改正に賛成するでしょう。逆なら反対です。)

 現状だけを見て判断することはできないのです。さらに歴史は自国だけで存在するものではありません。他国との関わりの歴史も学ばねばなりません。特に近隣諸国との外交や通商をする場合、その国との歴史的関係を知らなければ、できないでしょう。

 もちろん、歴史的事件は同一でもそれをどう評価するかは極めて難しいです。これは日本の歴史においても同様です。歴史を見る立場が異なれば、解釈も異なるからです。歴史は基本的に勝者が残していくものです。敗者の見る歴史と勝者の見る歴史は異なります。また、ある時代の要請からそれまで歴史にでて来なかった事象も歴史の大きな部分を占めます。(「坂本龍馬」の例・・ある時代までほとんど無名だった。)

 これは他国の歴史を見る場合も同様です。中国の大学にいる時、日本概況で日本の歴史について教えました。その際、日清戦争について教えたのですが、中国人の学生さんは、中国が朝鮮に出兵したのは朝鮮政府からの正式な依頼があったからで、日本が出兵したのはそのような法的根拠はないと言われました。この辺の事情は詳しく知りませんが。

 国共内戦時の歴史は共産党と国民党で評価が違うのは分かるのですが、清の時代の出来事でも評価が日本と中国では異なるようです。義和団の乱についても、日本と中国では違うようでした。日本統治下の台湾での武力衝突も、中国のドラマでは英雄的行動と評価されていました。(日本側の評価は日本の政府に従わない暴徒による反乱)

 さてそれでは、歴史を学ぶ理由についてまとめてみたいと思います。一つは自らを知るためです。個人の場合でも、国家の場合でも、なぜ今ここに自分はいるのか、またなぜ今の国家があるのかを知るためです。歴史を知らなければ、今の状況を理解できないし、これからどうすべきかも分からないでしょう。

 また外国と付き合う際にもその国と自国の歴史的関係を学んでいなければ、摩擦が生じるでしょう。(反日デモ反日暴動)また他国同士の武力衝突や対立にも歴史がからんでいます。(アラブとイスラエル、ドイツとイスラエル、インドとパキスタンなど)国際関係を理解する上でも歴史を学ぶ必要があります。

 歴史は過去の出来事ではなく、現在につながる出来事なのです。それ故に歴史認識が国際問題にもなるのです。昔「過去は最大の預言者である。」という言葉を聞きました。また「古きをたずねて新しきを知ればもって師たるべし」という言葉もあります。(温故知新)

 ぜひ読者のみなさんには歴史を学んでもらいたいものです。明日は日曜日の教会礼拝の司式の準備をします。