新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

礼拝ってどんなもの

 今日は朝から晴天でした。昨日同様朝の間は寒かったのですが、午後から暖かくなりました。今日はイースターなので、墓前礼拝がありました。墓前礼拝については、以前書いたことがあるので省略します。
 
 イースター(復活祭)は日本では余り目立ちませんが、中国でも欧米でも大事なキリスト教の儀式です。中国の印象ではクリスマスよりも盛大だったような気がします。復活(キリストが十字架にかけられ死んで3日後に生き返った出来事)については、現代人には受け入れにくいことですが、キリスト教の本質にかかわる出来事なのです。
 
 このことについて書くと長くなるのでやめます。今日は礼拝の司式だったので、礼拝について書きます。司式というのは、礼拝をスムーズに執り行うための大事な役割です。結婚式の進行でもそうですが、スムーズに式が流れなければ、大事な式もぶち壊しです。
 
 礼拝は毎週ありますが、来ている会衆は皆真剣に礼拝に参加するつもりできています。ですから、おじさんの経験では、説教をする以上に緊張します。礼拝順序を飛ばしていないか、言い間違いがないかなどです。
 
 ところで、そもそも礼拝など出たことのない読者の方の方が圧倒的に多いと思います。そこで礼拝について書いてみます。礼拝は大きく6つの部分に分かれます。それぞれの部分に合わせて儀式が行われるのです。
 
 まず、召集の部分です。これは、礼拝とは自分の意思で参加したのではなく、神様によって召し集められたという考えから来ています。礼拝は心を静めるための前奏から始まります。ここからは、礼拝堂での私語は一切禁止です。 次に招詞になります。これはまさに招きの言葉です。聖書のある箇所を読み上げます。続いて讃栄の讃美歌を歌います。
 
 これで召集の部分は終わりです。と言っても礼拝は、淡々と前奏から続いています。次は悔い改めの部分になります。主の祈りを祈ります。主の祈りは、聖書の中でイエスキリスト自身が、祈る時はこのように祈りなさいと教えたものです。世界中の教会で礼拝に用いられます。もちろん、中国の教会でもありました。(中国語で)
 
 次に交読詩編を読みます。教会によっては、交読詩編を読まないところもあります。中国の教会ではありませんでした。これは旧約聖書詩編を司式者と会衆が交互に読むものです。神を賛美する詩がほとんどです。
 
 次はまた讃美歌です。悔い改めの内容の讃美歌を歌います。今年からこの後に十戒を唱和します。これで悔い改めの部分は終わりです。
 
 次は御言葉の部分です。これまでは、儀式的な意味合いが大きいのですが、ここからが本来の礼拝の中心になります。まず本日の聖書箇所を司式者が拝読します。続いて司式者の祈りがあります。(祈祷と呼ばれます。)続いて、今日の聖書箇所にふさわしい讃美歌を歌い、牧師の説教へと続きます。
 
 礼拝の中心はプロテスタント教会の場合、説教です。大体30分くらいです。中国の教会でも説教が中心で、こちらは長くて40分以上ありました。中国の会衆はマナーが悪くて、礼拝中でも携帯を鳴らしたり、ペットボトルの水を飲んだり、堂々と寝たりします。もちろん、まじめな日本の教会ではそんなことはありません。
 
 説教は牧師の祈祷で終わります。その後讃美歌をもう一つ歌います。このあたりは中国の教会でも同様です。さらに、使徒信条を告白します。おじさんの教会の場合、日本基督教団信仰告白を告白することもあります。使徒信条は中国の教会でも告白しました。キリストの弟子(使徒)としての信条(信じていること)を告白するのです。
 
 日本語の場合、「我は○○信ず。」で始まります。中国語では文字通り「我信○○」となります。これで御言葉の部分はおわりです。礼拝は終盤に入ります。第一日曜日やクリスマス、復活祭の時には聖餐式があります。それ以外の日曜日では奉献の部分になります。
 
 奉献は文字通り、奉げ献上するという意味です。簡単に言えば献金です。中国では出席者が800人にも及ぶので席上献金(礼拝時の献金)はありません。教会運営のためのお金は中国の場合どうしているのか不明です。もしかしたら、月定献金のように、月にいくら献金すると決めて、礼拝以外の時に献金しているのかとも思います。献金は当番の教会員が集めます。その後献金当番の方が献金の祈りを捧げます。
 
 最後は派遣です。意外に思われるかもしれませんが、報告事項は、礼拝後ではなく、礼拝の中で行われます。中国の教会でもそうでした。今週の行事や来週の行事、などを報告します。礼拝はいよいよ終わりに近づきます。報告の後は頌栄を歌い、祝梼を持って終わります。祝梼とは牧師が会衆(礼拝出席者)に祝福の言葉を
与えます。中国の教会でも同様です。
 
 最後に後奏があります。中国の教会では後奏の代わりにアーメンコールをします。これは、奏楽に合わせて、アーメンと歌い続けるのです。中国の教会では、このアーメンコールに合わせて聖歌隊が退席していました。日本ではそのような教会は少ないと思います。
 
 これで礼拝は終わりです。中国では流れ解散状態だったのですが、日本の教会では「これで礼拝を終わります。」と司式者が宣言します。
 
 興味のない方には申し訳ありませんが、教会の重要な働きである礼拝について理解していただきたかったのです。日本でも中国でも欧米でも、礼拝の流れはほとんど変わらないので、いつどこでも教会に言った時参考になると思います。
 
 明日はのんびり過ごします。明日のブログは、特別のことがなければ最近アゴラで問題になっている「賃貸借か持家か」について書きます