新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

教師必携指導資料集(国語編)

今日は午前中は少雨で午後からは曇り空になりました。昨日から旅行に行っていた、義母、義妹、ツマクマは今日帰ってきます。

 株価は今日も下落で、このままでは8500円台くらいまでいきそうです。せっかく1万円台を回復したのにがっかりです。こればかりは、世界経済と連動しているので、日本だけ株高になるはずもありません。昨日書いたナショナリズム派の人がどんなにがんばっても、これは無理です。現代社会は好き嫌いに関わらず、世界中が複雑にからみあって経済が成り立っているのです。

 去年タイの洪水が日本経済に大打撃を与えたのを覚えている方も多いと思います。日本から何千キロも離れたタイの洪水が日本経済をゆるがす時代なのです。時々海外に工場を移転するのはけしからんと言う意見を見ますが、すでに企業サイトとしては何を言っても現在の流れを変える気はないのです。

 企業の存在意義が利益の最大化であるかぎり止めることはできません。この点もナショナリズム支持派の人には許せないところでしょう。反企業的な意見もブログではよく見ます。

 さて、中高は現在中間考査中か終わってすぐのところが多いと思います。おじさんの勤務する学校はちょっと特殊なので、中間考査は6月です。理由は大学と同じ2学期制をとっているからです。おかげで、試験問題を作る回数が少なくて助かります。3学期制だと最大6回問題を作らなくてはいけません。それに学期ごとに実力考査などもあって、問題作成が大変でした。

 おじさんの勤務する学校でも年度当初に実力考査があっているようです。しかし、それは専任の方が問題作成と採点をするので、こちらは関係ありません。使っている教科書は県立高校のものと同じです。

 今日はその教科書にまつわる話です。小中学校では地域同一の教科書を使いますが、高校は各学校ばらばらです。採用は最終的に校長の承認が必要ですが、現実には各教科内で話し合って決めます。ですから、社会科教科書の採用をめぐって騒動になった石垣島のようなことは起こりません。

 もちろん、文部科学省の検定済み教科書しか使えません。ここまでは皆さんご存じのところです。ところで教科書には必ず教師用の指導資料集がついているのです。高校教師が教科書を採用する際、この指導資料集も問題にするのです。

 ですから、教科書会社もこの指導資料集については工夫をしています。さて指導資料集とはどんなものでしょう。教師以外見ることがないので、ほとんど知られていません。(もちろん書店にもありません。)おじさんが教師になりたての頃はあったのかどうか記憶にありません。

 しかし、ある時からとても整備された指導資料集が出てきたような気がします。これはかって、赤本とも呼ばれたものです。デモシカ教師(教師にでもなるか。教師にしかなれない。・・つまり教師が安月給で不人気でなりやすかった時代)の時代は、これをまる写しして授業をしたり、中には教室に持ち込んでこれを見ながらやっていたそうです。

 指導資料の表紙が赤色だったので、そう呼ばれたそうです。高校では指導書の表紙が赤色だったことはありません。それに高校レベルだと、そんなことをしたら、生徒からばかにされてしまいます。中学などと違って、高校の場合授業内容が難しいのでちょっと無理です。

 ところで指導資料集と言うように「集」とついているのは、複数の資料があるからです。中学の場合は知りませんが高校の場合、指導書・質問課題集・標準試験問題・フロッピーデイスクなどがセットになっています。

 授業で一番使うのは指導書です。これには教科書の解説が細かく書いてあります。というとそれを当てにして先生は楽だと思うかもしれません。そんな人もいるのは確かですが、授業は生き物で丁度演劇のようなものです。毎日お客さんが違うし、演じる側もその日の調子で随分雰囲気が変わります。

 授業も同様です。40人の生徒さんの集団だと、クラスごとに雰囲気も学力も異なります。同じ内容を教えるにしても、全部どのクラスでも同じようにはできません。今の学校でもそうです。2クラスは全く学力も雰囲気も違います。あるクラスで受けた内容が、他のクラスではシラケることなど普通です。

 丁度芝居の台本を棒読みしても演技にならないようなものです。指導書の最大の役割は、他の先生と共通理解をするためのものです。つまり同じ教科書を教えても、国語のような科目は教師によって理解がばらばらになる可能性があります。
 
 特に文学作品のばあいそうです。小説はまだしも、詩短歌俳句などの韻文の場合、どう理解するかはばらばらになります。そこで基本的なラインは指導書によるとするのです。そうしないと、クラスによって解釈がばらばらになってしまいます。

 試験問題はほとんどの学校の場合学年共通問題です。そうなると、先生によって重点を置いたところや、解釈の違いなどが出てきます。それを防ぐために、指導資料集の標準試験問題を使うのです。そうしないと、問題を作成した教師が教えるクラスの生徒だけが有利になるからです。

 逆に言えば標準問題に出るような箇所については、共通して教えよう、またその解釈は指導書に従おうということになります。さらに言えばそれ以外は教える教師の独創性に任せるということになります。この部分こそが教師の腕のみせどころとなります。

 いかがでしょうか。どの世界でもマニュアルと言われるものがあります。しかし、どの世界でもマニュアル通りにはいかないものです。マニュアルと現実の課題をどう埋めるかが担当者の腕の見せ所なのです。

 ところで今回の試験問題のイメージは何となくつかめました。今回試験の中心になる部分はすでに何回も教えたところなので、ちょと楽です。とは言っても来週には問題を作成しなければなりません。印刷の関係があるからです。

 明日は週1回の授業の日です。明後日はいつもの大学院受講日です。明日はブログはお休みになると思います。