新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

最後の晩餐の場所

今日は夏日でした。今も相当暑いです。さて、今日は日曜日なので教会です。今日は教会暦で言えば、聖霊降臨日です。英語ではペンコステと言います。

 弟子たちのもとに聖霊が降りて弟子たちが様々な国の言葉で話しだしたという話にちなんでいます。ところで、今日はその聖霊降臨に関する説教がありました。

 ところで、今日の説教の個所はマタイによる福音書26章26節~30節です。実はここは、有名な最後の晩餐の場面なのです。晩餐についてはよく知られています。もちろんおじさんも知っています。ところが、ふとこの部分の前を読んでいてあることに気がつきました。

 それは、同じ章の18節の言葉です。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい」とあります。何を言ったかというと、「お宅で弟子たちと一緒に過ぎ越しの食事をする」ということなのです。

 考えてみれば、ダビンチの最後の晩餐の図でも、結構広い部屋で晩餐をしています。それがどこの場所など一度も考えたことがありません。しかし、聖書の別の個所にちゃんと出ているのです。

 マルコによる福音書では「都へ行きなさい。すると水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。」とあります。そして、そこの主人に「弟子たちと一緒に過ぎ越しの食事をする私の部屋はどこか」尋ねなさい、と言うのです。

 そこには、はっきり水がめを運んでいる男の主人の家です。そして、実際に都に弟子たちが都に行ってみるとイエスが言ったとおりだったのです。そして、そこで過ぎ越しの食事の準備をするのです。

 この部分については、ルカによる福音書でもほぼ同じ内容です。(ルカ22章7節~13節)ところでこの主人と言われる人はどんな人でしょうか。イエスの依頼に何の疑問もなく応えているのです。そして、なぜこの場所をあの有名な最後の晩餐の場所として選んだのでしょうか。

 この場所は、特段聖なる場所でもなさそうです。なんだか普通の商人の家のような気がします。この家の主人がどんな人でイエスとどんな関わりがあったのかも不明です。もし、この家の主人が後に世界中で知られる最後の晩餐の舞台となった場所だと知ったらどんなに驚いたことでしょう。もちろん現存していれば、世界中から観光客が押し寄せてくることでしょう。当然、ユネスコ世界遺産に真っ先に登録されたでしょう。

 最近聖書を読んでも、メインになる弟子たちなどより、回りの人に興味を持つようになりました。奇跡を起こす弟子たちより、逆に政府の役人や名もない主人などの方が生き生きとしています。逆説的ですが、そのような人々の方が弟子より実にリアルなのです。

 そこに出てくる人達は、現代でも生きていそうな人たちばかりです。洗礼を受けて45年になりますが、最近また聖書を別の角度から見れるようになりました。それは信仰の書であると同時に、その時代を生きた生の人間を描いた、極めて質の高い記録、あるいは文学としてです。

 明日からちょっと忙しくなるのでブログも一時お休みです。