新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

モデルなき時代

今日は曇り空なのに気温は高かったです。今日は色々しようと思ったのですが、なんだか何もしたくなくてだらだら過ごしました。大学院の発表資料を作ろうと思ったのですが、余り早く作っても、内容を忘れてはいけないと思って月曜日くらいに作ることにしました。

 テーマは中国の農業と農民問題についてです。人間環境論についてももうすぐ発表がまわってきます。テーマは古墳時代と環境、万葉の時代の環境などです。今は縄文時代の環境についてやっています。知らないことが分かってとても楽しいです。来週は弥生時代と環境です。

 さて、昨日もユーロ安が進んだようです。アメリカの雇用統計がおもわしくなくて、アメリカの株式市況も大きく下げたようです。この調子なら月曜日の日本の市場も大きく下げそうです。まあ仕方のないところです。

 今日は、現在の政治的経済的混乱について歴史の視点から書いてみます。日本の歴史全体を大きく眺めてみると、海外にモデルがあって、それを追い求めてきたようです。古代から中世までは中国です。日本の卑弥呼の時代が、三国志の時代ですから、文化の差は歴然です。

 奈良時代になって文字(万葉仮名)を工夫したようです。平安時代になると、中国の法制度を真似て(律令制度)法制度が整備されたようです。中国の側が衰えて、遣唐使の派遣が中止される頃になってやっと、日本独自の文化ができました。(ひらがなの発明など)

 その後平清盛の頃は日宋貿易です。まだまだ中国の方が文化的にも経済的にも上でした。織田信長の時代になって、ヨーロッパが視野に入ってきます。徳川家康も、外交顧問として、外国人を採用します。(ヤンヨーステン)江戸時代も中国・朝鮮はやはりお手本だったようです。

 江戸時代、朝鮮通信使が来ると、日本の学者たちが我も我もと押しかけて教えを乞うたと聞きます。江戸時代も手本は朝鮮・中国だったようです。現在では信じられません。ブログ特にブロゴスなどの意見欄を見ると、この二国への蔑視の書き込みが多く見られます。江戸時代の人が見たら腰を抜かすだろうと思います。

 明治維新以降はヨーロッパ文明でした。開国によって、ヨーロッパ文明を知り、追いつくことが重要な課題になりました。第一次大戦頃にやっと追い付きます。逆にそれまでモデル(手本)にしてきた中国・朝鮮が弱体化したので、だんだん見下すようになります。どうも現在もその意識が続いているようです。

 大正期から敗戦まではモデルなしでやって来たようです。実はアメリカなどは、科学技術の進歩があったのですが、ナショナリズムの勃興から、モデルとしなかったようです。敗戦後はアメリカがモデルです。そして、バブルの頃が日本の最後の輝きです。ジャパンアズナンバーワンなどとおだてられたようです。

 その後はご存じの通り、失われた20年です。そして、とうとうモデルがなくなってしまいました。ヨーロッパもアメリカもさっぱりです。中国は日の出の勢いですが、その政治体制からモデルにはなりそうもありません。イギリスも今ではさっぱりです。

 とうとうモデルなき時代になってしまいました。政治モデルもつい先ごろまでは、イギリス型の議院内閣制がありましたが、それも今一です。二大政党時代がもてはやされましたが、今はそれにも疑問符がつけられました。首相公選制も提案されていますが、憲法改正が必要です。

 それに、アメリカのような大統領制だからと言ってうまく行ってないようです。経済についてもEUのような経済統合もうまく行っていません。世界中がうまくいくモデルを求めています。さてこれからどのような政治・経済モデルが作られていくのでしょうか。

 また、どこの国がこの混乱期に成功モデルを提示できるのでしょうか。全く混沌とした状況です。モデルが完成するまで生きておられるか分かりません。ぜひ見て死にたいものです。

 明日は日曜日なので教会です。