新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

イエスキリストが絶賛した人。

今日は完全な夏日になりました。教会もクーラーを入れて礼拝がありました。ツマクマと義母は孫の運動会を見学に行きました。おじさんは、教会の長老会があるので留守番です。

 さて、月曜日には内閣改造をやっていよいよ消費税に決着をつけるようです。国際社会でもギリシャの再選挙やエジプトの大統領選挙など目が離せません。ニューヨークの大幅安を受けて、東京の株式市場も下落が見込まれます。次の壁は日経平均8000円の壁です。これを突破すると後は泥沼状態です。

 おじさんの所有株式によっては、買値の三分の一くらいまで下がっているものもあります。金融政策より株式上昇の方が日本経済に貢献すると思うのですが、グローバル化の中日本株だけが値上がりすると言うことはなさそうです。とにかく、じっと待つしかありません。

 さて、今日も日曜日なので教会へ行きました。このところ、聖書の登場人物や事件の背景などについて、ちょっと気がついたことを書いています。今日はイエスキリストが「「これほどの信仰を見たことがない。」と言わしめた人についてです。

 まず正解からです。実はイエスキリストの弟子ではありません。それどころか、イエスキリストと同じユダヤ人でさえないのです。ご存じの方もあると思いますが、ユダヤ人は自分たちこそ神から選ばれた選民であると考えていました。だから、自分たちユダヤ人以外を異邦人と呼んだのです。

 その異邦人の一人が、イエスキリストに絶賛されたのです。その異邦人は、単なる旅人や居留民ではありません。それどころか、ユダヤ人の敵のローマ人それもローマの軍人なのです。当時、ユダヤでは反ローマ闘争があっていました。そのグループは熱心党とも呼ばれていたのです。

 そんなユダヤ人の敵であるローマの軍人をイエスキリストはその信仰故に絶賛したのです。マタイ福音書8章5節~13節に詳しく出ていますので詳しくはそちらを読んでください。彼は部下が病気になったので、イエスキリストに治してもらいたいと依頼に来たのです。

 まず依頼に来たのはローマ軍の百人隊長です。ローマ軍の中核的が部隊が百人隊です。旧日本軍でも、中隊が軍の要の単位だったようです。ローマでも旧陸軍でもそれ以上に大きな軍隊の単位がありますが、これ以上大きな単位となると、兵士一人ひとりを隊長が把握できなくなるのです。

 つなり兵士にとって一番身近な上級指揮官はローマ軍では百人隊長、旧陸軍では中隊長と言うことになります。彼が、イエスキリストに治療を依頼したのは、イエスキリストの評判を聞いたからでしょう。まず、この隊長には偏見がなかったと思います。

 なぜなら、ユダヤ人はローマの占領下にある民族です。それにローマ人を嫌っていることは明らかです。それにも関わらず、この隊長はイエスキリストに治療を依頼したのです。当時の文化レベルから言えば、圧倒的にローマの方が優れていたでしょう。隊長にとって必要なことはそのような先入観でも優越意識でもなく、ただ病気さえ治してもらえればよいということでした。

 次に、イエスキリストが、隊長の申し出を承諾して治療に行こうと言ったのに対して、出かけていく必要はないと言います。それは、私は「あなたを自分の家の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。」と謙遜しているのです。ローマ人一般の考えから言えば信じられないほどの謙虚さです。

 「ただ、一言おっしゃってください。そうすれば、私のしもべはいやされます。」と言うのです。ここにはイエスキリストの力に対する絶対的な信頼があります。現代人キリスト者であるおじさんでも、ここまで言い切ることはできません。他の例を見ても、皆イエスキリストに来てもらって癒してもらいたいと言っているのです。

 隊長はその根拠として、イエスキリストには権威があると言うのです。自分は隊長だから部下に来いと言えば来るし、行けと言ったら行くといいます。それと同様にあなた(イエスキリスト)にもそれだけの絶対的権威と力があることを信じているのです。

 イエスキリストが隊長を絶賛しているのは、部下への深い愛情、偏見のなさ、素直さ、謙虚さ、イエスの権威と力への絶対的信頼などを感じたからです。イエスキリストに対するおべっかいならすぐに見抜いたでしょう。そもそも軍人と言うものはどの時代でも基本的には理性的存在です。なぜななら精神力だけでは戦争に勝てないからです。

 現代のイスラム圏でも、世俗主義はほとんど軍隊です。イスラム法に則って生きても戦争には勝てません。必要なのは近代兵器であり、最先端の技術なのです。精神主義を重視した旧日本軍などは例外中の例外です。信長でも桶狭間の戦い以外は、圧倒的な勢力がなければ戦争はしなかったと言います。

 そのような、合理精神の持ち主であるローマの百人隊長が、まだ海のものとも山のものとも知れぬイエスキリストに絶対的な信頼を持ったこと自身驚くべきことだと思います。

 奇跡はまれな出来事のことを指すのだそうです。この出来事も奇跡であると思います。そんなことに気が付いたのは、つい最近のことです。中国のような異国で生活してから異邦人として生活することで、少し分かったのです。日中戦争の最中に、旧日本軍の中隊長が部下の治療を占領地の中国人の医師にお願いするようなものかもしれませんね。

 明日は木曜日の大学院の発表の資料作りをするつもりです。