新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

新約聖書と経済活動

今日は昨日までと違って完全な夏日になりました。週の半ばくらいからは又雨との予報があります。今日は日曜日なのでいつもの通り教会です。

 第二日曜日は壮年会と言って中高年の男性の勉強会です。今日はメンバーがそろって7人でした。メンバーとしては、もう一人いて全員で8名といったところです。旧約聖書の易しい解説書を読んでいます。

 さて今日は聖書と経済活動について書きます。考えてみると、新約聖書は神学書ではありません。当時の生きた生活を基に書かれています。仏典などは、どのような内容か知りませんが、日本では宗教と経済活動とは余り関係なさそうです。

 新約聖書ではまず税金の話が結構でます。どの時代でも税金の問題は社会にとって重要だったからでしょう。そもそもあのマタイ福音書を書いたマタイ自身徴税人でした。当時ローマの手下としてユダヤ人から税金を徴収する徴税人は民族の裏切り者状態でした。

 日本の占領下の中国大陸で日本軍の下で働いた中国人が漢奸として嫌われたのと同じ状態でしょう。その分徴税人は同じ民族のユダヤ人から法定以上の税金を播き上げたようです。マタイについて言えば、お金はあるけれど民族の裏切り者として嫌われ者であったのに、キリストイエスが私についてきなさいと呼びかけられて仕事を捨ててついて行きます。

 イエス自身にも、税金に関する質問が投げかけられます。あるユダヤ人はイエスに皇帝(ローマの)に税金を払うべきかどうか質問します。これは言葉の罠です。もし払うべきだと言えば民族の裏切り者だと言えるし、払うべきでないと言えば、ローマの統治に反対している者だとローマ軍に訴えることができます。

 イエスの答えはこれも極めて巧妙なものでした。あなたはローマの貨幣を持っていますか、と逆に言います。そこでユダヤ人は貨幣を出します。貨幣には何がありますかと言います。皇帝の肖像ですと答えると、皇帝のものは皇帝に神のものは神に返しなさいというのです。

 この世の問題はこの世のルールで解決し、宗教的問題は宗教のルールによりなさいと言うのです。この考えから言えば、キリスト者はこの世に生きる限りは全力を尽くして仕事をしてお金を儲け、それを神様の働きのために返しなさいということでしょう。

 税金だけでなく、利殖についてもイエスは述べています。マタイ福音書25章14節~30節です。「タラントのたとえ」とも言われます。後日タラントはタレントと言われます。芸能人のことをタレントさんと言うのもこれが語源です。英語ではタレントは「才能」の意味になっています。

 聖書のタラントは当時のお金の単位です。1タラントは6000ドラクマと同じで、1ドラクマは労働者1日分の価格と言われます。1日1万円とすると1タラントは6000万円です。ちょっとしたお金です。そのお金は主人は召使いにあるものに5タラント(3億円)ある者に2タラント(1億2千万円)もう一人は1タラント(6000万円)あづけます。

 5タラントの者は商売をしてさらに2タラント増やします、2タラント預かったものも倍に増やします。ところが1タラント預かった者だけは損をしてはいけないと思って穴を掘ってかくしているのです。(今風に言えばタンス預金)

 さて、帰ってきた主人はお金を増やした二人をほめさらに多くのものを管理させようと言います。逆に増やさなかった者については、銀行にでも預けておれば預金利息でも貰えたのにと言って怒ってお金を取り上げます。穴を掘って隠した召使いは損をしたら主人に怒られたらいけないと恐れていたのです。

 なんだか商売の教訓のようですが、本当に聖書の話なのです。さらにそれに続く名言は後に経済におけるマタイ現象とまで言われるようになります。実は随分前ICUの入試問題にこの言葉がでていて笑ってしまいました。ICUと言うのは国際基督教大学のことです。

 これに続く言葉は「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。」という言葉です。経済におけるマタイ現象というのは「豊かな者はますます豊かになり、貧しい者はますます貧しくなる。」現象を指すのです。

 聖書のたとえ話が経済の現象を表すのに使われるのもおもしろいと思います。マタイ現象を否定する人はいないと思います。ちなみにタラントのたとえは、神様から与えられた才能を最大限に世のため人のため使うことが神様に喜ばれることですよと言うことです。

 今日は新約聖書に出てくる経済活動について一部書きました。興味のある方は新約聖書を読んでみるとおもしろいです。明日は今回の中間考査の集計をします。