新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

梅ちゃん先生の時代ー団塊世代の戦後体験について

今日はこの数日と全く違って晴天になりました。近畿や関東では雨がひどかったようです。おじさんの地方も豪雨だと報道されたのですが、何とか無事過ごせました。

 昨日は大学院の授業だったので、帰りが遅かったです。今日はツマクマが娘の家に行っているので、のんびり過ごしました。と言っても午後には娘や孫と一緒に帰ってくるので、今急いでこれを書いています。

 このところの円安で株価も一段落です。今のところ大きな下げはなさそうです。政治の世界は大変なようですが、日本の株価について言えば政治とは無関係に動いています。日本の株価に影響を与えるのは国内情勢より世界情勢のようです。

 政治のことについては又書きます。今のところは事態が流動的でつかみどころがありません。来週早々には政局が見えてくるでしょう。可能性についてはいろいろあるでしょうが、今のところ全く不透明です。

 さて、今梅ちゃん先生が大人気です。そこで、今日はおじさんの戦後体験について書きます。おじさんは昭和23年生まれです。戦争が終わって3年目です。まだ戦後の焼け跡などが残っていたのかもしれませんが、余りに幼くて記憶にありません。父親は一応戦争に行って復員しました。と言っても国内にいたので無事でした。

 思い出にあるのは幼稚園に行く直前4歳くらいからです。その頃朝鮮戦争が起こったようで、大変な時代でした。朝鮮戦争は1950年から1953年ですから、2歳から5歳の頃ということになります。(おじさんは1948年生まれ)金へん景気と呼ばれ、金属片がとても高い値段で売れていました。

 子供たちも釘や銅線などを拾って売りに行っていました。そんな話を今の学校の講師控室でしたら、同年代の別の先生は進駐軍の戦闘機の薬きょうを拾っていたと話ていました。別の人からもそんな話を聞きました。また別の人は、自分の家ではウサギを飼って、育ったら食べていたと話ていました。

 皆生きるために必死でした。子供でもそうです。幼い頃米軍の輸送機が飛んでいたり列車に積まれた戦車をJRの駅でを見たこともありました。おじさんの街にも大きな米軍のキャンプがあって、市の繁華街のすぐ近くに駐留していました。街一番のデパートの屋上から米軍の星条旗が見えました。

 国道も米軍のジープが頻繁に通るので、ジープ道路と愛称がついていました。デパートの地下ではココアやチョコレートがありました。後にそれがハーシーという銘柄だと知りました。当時チョコレートは高級品で遠足の時くらいしか食べることができませんでした。

 小学校に行ったら給食がありました。幼稚園はお弁当です。今でも最初の給食は覚えていますが、イワシ団子入りのうどんでした。それにこの年代の人なら全員知っている脱脂粉乳のミルクとパンです。若い世代の方は団塊の世代に不満があるようですが、若い方は豊な時代を満喫して成長しましたが、我々団塊の世代は若い頃結構苦労したのです。

 あの脱脂粉乳を現在の若い方に飲ませたら全員残すだろうと思います。それに給食のレベルもひどいもので、これも若い方で食べれない人が続出するでしょう。中学に入ると大変な数になりました。1学年で600人で全校で1500人です。55人で一クラスにしたので、1学年12クラスになりました。教室が足らないので、音楽教室や書道教室、技術教室も全て教室として使い、それでも足らない学校は講堂を仕切って使いました。

 40人学級など夢のまた夢でした。高校入試は現在では信じられない9科目の試験がありました。音楽・美術・体育・技術などの試験もありました。大学入試は四当五落と言われました。また受験戦争とも言われました。ちなみに四当五落は4時間の睡眠なら合格、5時間寝たら不合格と言う意味です。

 英語はとにかく暗記なので、英語の豆辞書を暗記しました。今は忘れ去られた旺文社の英単です。赤い表紙なので赤単とも豆単とも言われました。伝説によれば覚えたページを食べると忘れないと言われたので、食べた人もいたそうです。数学はチャート式数学を使いました。(赤チャートと呼ばれました。)総合学習ゆとり教育などとは程遠い暗記専門の教育でした。しかし、そんなら連中が高度成長をリードしたのです。

 中学を卒業して集団就職した友人もいたし、おじさんより優秀なのに家の経済状況が苦しいので大学進学せず専門高校(工業や商業)に進学した友人もいました。当時の高卒には今の国立大学卒業程度の能力を有する人も大勢いました。

 ただ国立大学の授業料が安かったので、やる気があればアルバイトなどで進学することもできたのです。現在の物価で言えば授業料が月1万円くらいの感覚です。今でもアルバイトすれば月に5・6・万円くらいは稼げるでしょう。そんな感覚です。それに奨学金も教師や研究職につけば返還義務のないものもありました。

 現在と一番違う点は今は苦しく貧しいが将来は明るい展望や希望が持てると言う点と、働く気があれば仕事はいくらでもあったと言う点です。これだけは今の若い方にはないので申し訳ないと思います。どの時代でもよいこともあれば悪いこともあります。

 戦争を生きた人は当時の若者であるおじさんたちに向かって君たちは幸せだと言いました。団塊の世代はたのしい時代を生きる若者に向かって、君たちは幸せだと言います。お互い様だと言う気がするのですが。

 明日は地方史講座を受講に行きます。