新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

教職員養成問題について考える。

今日は昨日より天気が回復しました。株価の方は昨日は内需関連特に建設関係が値上がりしましたが、今日は落ち着いています。今日は株主総会の特定日で、これでひと山越えるところです。電力会社の方はとりあえず終わったようです。

 電力会社を自家製ファンドの中心においていたのですが、今回の原発騒動で完全にやられてしまいました。津波だけならたいしたことはなかったのですが、原発事故は予想外で、多分おじさんが生きている間は電力会社の経営の回復不可能でしょう。

 サイトや雑誌などを見ると投資を勧めていますが、知識のない方はやめた方がいいと思います。特に投資信託は、損をしても信託運営費用はとられるので大変です。これからも続く低成長の時代は安全な預貯金が一番かもしれません。(タンス預金は盗まれる可能性があります。)おじさんも今持っている株式が買値程度まで戻したら順次売却して、定期性の預貯金か社債などの元本が保証されるものに代えます。

 年金生活者こそ安定的な運営が必要でしょう。今の世界的な商品市況を見るとインフレはしばらく来そうにありません。日本も後10年は低成長が続くと思います。もし再び成長が起こるとしたら、革命的な新技術が見つかったときでしょう。

 さて、今日はサイトを持ていたら教員養成で大学院卒業を資格にすると言う記事を見つけました。ああまたかという気持ちです。10年くらい前に、文部科学省が、教員免許の上伸を求める政策を打ち出しました。高校の場合教員免許は1種が普通で、大学院を卒業すると専修免許がもらえました。

 10年くらい前、これまで現職の先生は経験年数で専修免許がとれる制度をやめるので、まだ専修免許を取得していない先生は急いで取得するようにと通達がありました。それで、若い先生は急いで放送大学の大学院の単位などを取得したものです。

 ところが、その後は音沙汰なしです。専修免許をとっても待遇に何の変化もないのです。今高校教師になっている先生は、1種免許のままだと思います。今回は大学院での資格を教員免許の基礎資格にするようです。結論から言って何の意味もないと思います。

 教育現場は医療の世界と同じです。臨床経験こそが全てなのです。皆さんの中で、学術論文は書いたことがないが多くの患者さんを診察して、医者としての人格もすぐれており、看護師さんやその他医療関係者とのコミュニュケーションも良好な先生と、多くの学術論文を書き、研究業績はあるが患者を見たことはほとんどなく、威張っていて、他の医療関係者とのコミュニュケーションもよくない先生とどちらに診てもらいたいでしょうか。

 おじさんも38年間高校教師をしましたが、現場で働く教師にとって一番有効なのは先輩教師のちょっとしたアドバイスです。それから社会人体験を必須にすべきだという意見もありますが、これはちょっと違うと思います。医者の世界も教師の世界も利益と全く関係ない純粋に人間を相手にする世界です。

 社会人という場合企業で働いている人を指すと思います。企業は利益を上げることを究極の目的とする組織です。ですから究極の目的とするところが違うのです。確かに企業で働く社会人から見たら教育現場は非効率極りないと思います。しかし、それは宗教者と医者と教師を聖職者としたのは、利益から離れた世界で生きるからです。

 聖職者の世界で必要なことは絶対的価値であって相対的価値ではないのです。絶対的価値とは数値で表せないものです。聖職者にとって今向かい合っている一人をどうするのかが大切であって、数は問題ではないのです。自分の子供を考えてもらえればよいと思います。

 何人その先生が相手にしたとしても、大切なのは自分の子供がどうなるかだけです。100人の子供を治しても自分の子供が治せなければ、その医者はダメな医者ということになるでしょう。聖職者でも、大勢の信者さんが来て献金が沢山集まる人がよい聖職者とはならないと思います。

 かって自民党は教師は聖職者だと言ったのですが、新自由主義のせいか、そのような主張はなくなりました。それは別にして、文部科学省の最近の政策は教育現場から大きくはずれています。もしよい教員を養成したければ、教師の雑務をなくして(最近評価とか報告とかどうでもよい仕事が多いようです。)教師同士のコミュニュケーションを高めることだと思います。

 あるサイトにも書いてありましたが、大学院での坐学はほとんど教育現場では役に立ちません。教科関係は少しは役に立ちますが、教育関係の科目(教育社会学や教育行政学、さらには教育心理学など)は現場ではほとんど不要です。逆に実習関係の単位を増加させるなら最初から現場で仕事をした方が良いでしょう。

 弁護士になるのに修士号は必要ないし、医者でも博士号があるからと言って優秀な医者とは限らないのと同様です。

 医者の場合インターンで色々な診療科(外科・内科など)を回って研修を積み増す。高校教師の場合であれば、普通高校では進学校・進学・就職併存校の三種、その他専門高校、さらには教育困難校とそれぞれ3ケ月あるいは半年体験するのが良いと思います。有名大学卒業者は教育困難校でショックを受けるでしょうか、大学時代に専門の勉強を怠った卒業生は、進学校に行って自分の専門能力のなさを知って、専門の勉強をするようになるでしょう。

 進学校で求められるのは高い専門知識(県立でもトップ校の場合東大の入試問題が解ける能力)であり、教育困難校では人間性あるいはコミュニュケーション能力です。大企業でも総合職をまず現場の工場から勤務させるところが多いです。それから本社の管理部門に回します。

 ところで政策のミスマッチをなくすためには、文部科学省の官僚に教育現場を体験させることだと思います。警察なら交番勤務があるそうです。ですから文部科学省のキャリアはほとんど有名進学校の卒業生ですから、経験のない教育困難校で最低3月できれば1年教師としての経験をさせる必要があります。そうでなければ、人間は自分の体験でしか物を考えられないので、どうしても教育のイメージが有名進学校になるでしょう。

 免許は問題ありません。大学卒業者には臨時免許状を教育委員会が出せるのです。それにキャリアのほとんどは法学部出身なので公民を教えてもらえばよいのです。教育困難校であれば全ての教科を教えることのできる学力があると思います。ただ学力だけで済まないのが教育現場なのです。

 多分これまでの人生とのあまりのギャップに辞職する人もでるでしょう。それでよいと思います。その体験が良い教育行政を生むと思います。教育委員会事務局の課長に30代くらいで出向したのでは何も分からないと思います。教職員養成問題も含めて、一番肝心要の文部科学省の官僚の意識を改革しなければ、小手先の政策では何も変わらないと思います。

 今日は午後から大学院の授業です。