新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

ホモエコノミックスとしての団塊世代

今日は夜明けから午前中にかけてひどい雨でした。昨日の離党騒ぎもすでに一段落です。いまさら小沢氏が民主党から離党しても、たいした衝撃もありません。本人はまだ自分の存在が大きいと思っているのかもしれません。すでに過去の人になっています。

 ただ舛添氏などは、すっかりやる気になって連携を表明していました。舛添氏自身も自民党から離党しましたが、今ではすっかり忘れ去られています。東国原元知事もそうです。こちらも「どぎゃんかせにゃあかん」などと言いながら、知事1期でいなくなってしまいました。

 まあ政治などと言うものはそんなものでしょう。維新の会も次第に神通力を失いつつあります。株式相場は政治と無関係に相変わらずの小動きです。今までならボーナスシーズンで、株価が安ければ購入しようという動きもあるのですが、今の世界情勢や国内情勢ではどうしようもないでしょう。

 さて、最近年金受給が本格化した団塊の世代について、あるアンケートを見ました。ネットなどで逃げ切り世代などと叩かれていますが、団塊の世代が年金についてどう思っているかについてです。答えは予想通り、若者の負担になっても、現在の受給額を減少させるつもりはないと答えた人が半数近くでした。

 若者に気の毒だから減額してもよいは13%くらいでした。こんな結果を見たら又若い方たちは団塊世代はけしからんということになるのでしょう。しかし、タイトルにも書きましたように、経済学でいう人間(ホモエコノミックス)は自己の利益のみを追究する合理的存在とあります。ですから団塊の世代は経済合理性に従って行動しているのです。

 団塊の世代といえども不当不法なことをして、年金を受給しているわけではありません。最低でも20年以上、おじさんで言えば38年間年金保険料を支払って現在の年金を受給しているのです。

 最近見た産経新聞では、自己負担以上の年金を受給した人は、死後その遺産で自己負担額以上の金額を清算してもらってはどうかと書いていました。まあそんなやり方を支持する団塊及びそれ以上の高齢者はいないでしょう。そもそも死んだ時にそれだけの遺産が残っているか疑問ですが。

 年金に加入した際の約束ではそんなことは一切書いてなかったからです。法律学の有名な原則に、事後律法の禁止があります。法律は法律が制定されて以後にしか有効ではないという原則です。法律が制定以前に遡って摘要されることはないと言う意味です。

 企業年金などの場合は、企業自身に止む追えない事情があって、年金受給者の三分の二の賛成で減額できるようです。ところで最近「経済成長は不可能か」(中公新書 盛山和夫著)を読みましたが、その中でも「受給している世代の年金は削減できない」と言う章を設けています。

 経済に与える影響から言えば、団塊の世代は消費に貢献しています。今日の新聞でもそう報じていました。旅行や購買においても、活発にやっているようです。おじさん達も、また海外旅行に行きたいと思っています。逆説的ですが、年金を減額すればその分だけ消費は減少するでしょう。

 消費が減少すれば税収も落ちるのでさらに財政が厳しくなると思います。仮に月20万円の年金を貰っている人が月10万円に減額されるなら、不足の10万円は預貯金の取り崩しになるでしょう。年に120万円取り崩すとして20年で2400万円ですから、相当預貯金のある人でも80歳台で預貯金は0になるでしょう。そもそも24000万円も預貯金のある人は少ないでしょうから、せいぜい10年つまり70歳台後半くらいで預貯金0になります。

 そんな時大病をして入院したら即生活保護を受けるしかありません。年金の説明会でも教職員の方でも正規採用された時期が遅い(浪人や留年、民間企業勤務、講師経験)方は年金が20万円を切ると言われています。また遺族年金だとまず20万円は無理でしょう。

 年金減額は言うは易く行うは難しです。今は定年後の引退生活をエンジョイしている団塊世代も、もし大幅な減額を主張する政党が政権を握る可能性が出たら黙ってはいないと思います。団塊の世代は今の若い方のようなお祭り騒ぎのデモではなく、激しいデモも経験しています。

 そもそも学生運動でも、ある日突然受験勉強だけをしてきた大学生が参加したのです。それも自発的にです。ある人の文章によれば「天からお札が降ってきて、それを拾った人がそのまま参加したような気がする。」書いてありました。おじさんであっても、年金を半分にすると政府が言うなら、友人と誘って反対運動に参加するでしょう。そうしなければ生きていけないからです。

 経済学でいう経済人(ホモエコノミっクス)として行動するだけです。社会主義の失敗のように、人間は思想信条と言った目に見えないものによって行動するものではないのです。皆のためだから我慢して貧しい生活をしてくれと言うのは無理です。

 先述した新書の著者は、不足分は国債発行で補い、消化が難しければ日銀引き受けでもよいと言います。それよりも、デフレを解消することが先決だと言います。

 内容が刺激的なので、余り目立たないタイトルにしました。このタイトルならよほど関心のある人でないと読まないだろうと思います。明日は授業です。