新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

江戸時代の離党騒動(亡命騒動)

今日は本来は人間環境学の実習で、県境の山に行く予定でした。しかし、雨がひどいという予報だったので中止になりました。本来は地方史講座の日だったので、そちらに行きました。

 この地方史講座も次回で終わりです。今日は全く知らない地元の歴史でした。おじさんの住む市は市の真ん中で二つの藩に分かれます。それぞれ結構大きな藩なのです。おじさんが生まれ育った地域と今住んでいる地域では藩を異にします。

 同じ市内であっても藩が異なると言葉も文化も違います。市役所のある地域はかって城下町だったところです。今日はこちらの藩で起こった騒動についてです。時代は江戸時代末期です。この事件の40年後に明治維新になりました。

 さて騒動なのですが、藩の武士の半分を巻き込む大事件でした。事件の経過が外交問題とかかわっているのもおもしろいです。発端は、朝鮮通信使(朝鮮からの外交使節)の接待で幕府にほめられた藩主が幕府内部の地位の上昇を狙ったことです。

 幕府内部では、各藩のランク付けがありました。それは江戸城内での控え室によってあらわされました。その控え室のランクを上げようとしたのです。そのために幕府首脳(老中など)にお金をばらまく必要があったのです。

 その財源を藩士の俸給削減によってひねりだそうとしたのです。当然藩士の間で不満が高まりました。おまけに藩主は他の小藩から養子で来た人だったのです。どのくらい反対運動が強かったかと言うと4人の家老のうち3人が反対したのです。

 それに陰謀家の儒者がいて策略をめぐらすのです。この儒者は、何と非常時に上げるのろし台からのろしを勝手に上げるのです。それもオランダからの使節が滞在している時にやったのです。大騒動になりました。また、それに先だって幕府の高級官僚が滞在している時に匿名の投書を行ったりします。(まるで偽メール事件のようです。)

 幕府の側では、この藩に問題が起こっていることは把握していたのですが、取りあえず様子を見ていたのです。事件は主流派の中枢の人物の暗殺にも発展します。そして、藩主の側近の家老が帰国した際大事件が起こります。側近の家老の罷免を求め、自分たちの意見が通らないと見た反主流派は実力行使に出ます。

 3人の家老は含め全藩士の半数が隣の藩へ亡命を求めて藩境に向かいます。隣の藩の関所の役人は驚いて、上司に伺いをたてるという名目でとにかく足止めにします。藩主は藩士の半数が藩から出て行こうというのですから、大慌てで引きとめます。

 藩主自ら反主流派の意見を受け入れる書状を出して、取りあえず復帰してもらいます。この騒動は結局幕府の知るところとなり、藩主は謹慎処分になります。

 これで落着すればよかったのですが、数年後首謀者の妻からの密告の形で事件の全貌が明らかになります。これについては逸話が残っています。首謀者がその家の下女と不倫をし、それに怒った妻が事件の全貌を役所に通報したと言うのです。ちょっとできすぎた話ですね。

 小沢さんについても妻の手紙が週刊誌に取り上げられていましたが、ちょと似ていますね。これが発端になって一網打尽になります。首謀者の儒者はのろし台ののろしを勝手に上げた罪で火あぶりの刑になります。その他暗殺事件の関係者や通報事件の関係者など家老一人を含め全員打ち首になります。(計7人が処刑されます。)

 こうして事件は一件落着したかに見えたのですが、その後幕末期には幕府側についたため、藩は倒幕派に攻められ、城を失ってしまいます。とは言ってもこの街はいまでも市一番の繁華街です。

 明日は教会です。明日は教会学校の説教があります。