新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

愛憎の変ー物事を決めるのは理性より感性

今日は朝から暑い1日です。天気予報では雨とあったので期待したのですが、さっぱりです。今日は久しぶりに家のお手伝いです。 内容は庭の草刈りです。先日来の雨とこの数日来の日照でぐんぐん伸びました。それで本格的に伸びる前に刈ったのです。

 小さいとは言え庭なので、エンジン付きの草刈り機で刈りました。最近は燃料になる混合油を売ってくれるスタンドが少ないので毎回油を売ってくれるか心配です。取りあえず今回は買えました。

 株価は相変わらず低迷です。毎回書いているように海外(アメリカ・ヨーロッパ・中国)全てが景気後退なので仕方ありません。どこで下げ止まるかどうかです。

 さて、今日は人は何によって物事を決めるのかについて書きます。と言うのは大阪市長のスキャンダルについての反応から思ったのです。普通公人であればあのようなスキャンダルはダメージになるのですが、市長の場合は、皆そんなものだろうと寛容な態度です。

 スキャンダルは起こした本人に対するイメージと大きな関係がありそうです。スキャンダルを起こしたのが、不評な小沢さんだったら、どうでしょう。もちろん、自分の兄弟や夫だったらそんなに寛容にはなれないでしょう。

 ところでタイトルの「愛憎の変」と言うのは韓非子に出てくる話です。内容はこうです。ある王様に愛されている女性がいました。その人がある時、食べかけの桃を食べさせました。王様は失礼だとおもわず、食べかけの桃を自分に食べさせてのは、おいしい桃を食べさせたいとの愛情からだと言うのです。

 また別の時に、女性の親が病気になった時、王様以外の人が使うことを禁止している乗り物を使いました。王さまはそれを咎めないで、女性の親孝行をほめました。

 ところが、女性の魅力が衰えると王様は、その女性を罰しました。理由は王様に食べかけの桃を食べさせ、王様以外に使用を禁止された乗り物を勝手に使ったからです。

 事実は同じなのに自分の感情でどうにでもなることの例えとして韓非は使っているのです。不倫自身は道徳的に非難されます。某球団の監督もそうです。しかし、絶対的な悪ではないのです。不倫した人間が人気(皆から愛されている)なら許されるのです。

 まあ人間というものはそんなものなのです。しかし、一端人気が衰えたら今度は蒸し返されるでしょう。以前から不倫をするような人間だから許せないと。

 ちょっと極端な例ですが、このような例は沢山あります。小沢さんも一時は剛腕小沢と言ってその凄腕が評価されましたが、今その評判は地に落ちています。原子力発電でも一時は産業の基盤としてもてはやされたのですが、今は邪魔者扱いです。実際は全て廃炉にすれば、電力不足や電気代の値上がりで大変だと思うのですが。

 団塊の世代も高度成長期は沢山の消費をしてくれるありがたい存在でした。今は年金を食いつぶす迷惑な存在になっています。今その団塊の世代を非難している若い方も今度は次の世代にノマドなどのんきなことを言って年金すらかけていない世代だと言って非難されるのでしょう。

 結論。物事は変わらないのに、気持ちが変化すると賞賛から侮蔑へと変化すると言うことです。韓非子は、それだからこそ、感性(感情)に頼らない法によって全てを判断するしかないと言うのです。

 明日は大学院のジオトレイルです。簡単に言えば現地視察です。また後日内容の報告をします。