古代お役所事情
今日も夏日でした。今日は一度ブログを書いたのですが保存できず再度書いています。今日のブログは今読んでいる「正倉院文書の世界」についてです。
書類作成マニュアルもあったようです。当時の重要な書類であった戸籍帳を作成するマニュアルに相当するものがあったようです。租税の基礎となるのでとても正確に書かれています。
また、役人の世界も大変です。古典文学にでてくる貴族たちは毎日歌を作ったり女性と恋愛したりばかりして働いていませんが、当たり前のことですが、誰かが実務をこなさなければ社会は動かないのです。また当然役人もきちんと監督していなければ怠けてしまいます。
文学作品に出てくるのは全部の役人のほんの一部なのです。役人のランクは何と30近くありました。下級官僚になると6年に一度勤務評定があって、普通に該当する「中」を貰えると1ランク上がるのです。そもそも誰でも例え下級官僚でさえなれるものではありません。
その前に見習いとでもいう貴族や役人の召使いをしなければなりませんでした。資人と言いますが、資人になると税が免除されるので、庶民にとって憧れだったそうです。
資人になってチャンスがあると下級官吏になれます。スタートは少初位下です。6年して少初位上、12年で大初位下、18年で大初位上、24年で従八位下となります。やっとここで数字がでてきます。後は7位~1位まであります。当時の平均寿命だと、24年も勤務できたかどうか。
臨時職員もいました。当時写経が盛んで、その写経をしたのが写経生と呼ばれました。書き写す仕事をする人、書かれたものを点検する人などが写経生に含まれます。彼等は出来高払いで、1枚何文と言った風に計算されたのです。
彼らは泊まり込みで仕事をしました。役職によって食事の内容が決まっていました。基本は玄米ご飯と海藻の汁、それに野菜などがつきました。また自分のお金で果物なども買っていたようです。
この時代には会社員はいないので現代と比べることはできませんが、役人の世界は現在とそれほど変わらないようです。明日は教会です。午後からは以前勤務した高校の同窓会に出ます。ですからブログはお休みです。