格差社会論を見る視点ーネオブルジョアとネオプロレタリア
今日は早朝から突然の雨でした。雷雨と言ってもいい状態でした。昨日から長女と次女それに孫も来ています。
孫が受験なので、勉強のお手伝いもしています。最近領土問題で大変です。昨日は竹島に韓国大統領が上陸して大問題になっています。日本が消費税問題で大混乱をしているのを狙ったのは明らかです。政府は消費税問題で窮地に立たされているし、反原発問題もあって大変です。
おまけにロンドンオリンピックで国民は盛り上がっています。それにお盆前で国会議員も選挙区へ帰りたがっています。外交問題は票にならないので選挙区に戻っても話題になるのは消費税問題でしょう。韓国側も良くタイミングを狙ったものだと思います。
この問題をどう解決するかは極めて困難です。国会で一致して韓国非難に声明を出すくらいしかないでしょう。ブログなどではこの問題が大きく取り上げられていますが、消費税問題でに比べれば国民の関心は低いようです。
さて、外交問題はブログでいくら書いても相手(外国)のあることなので、別の話題にします。この数年格差社会論が盛んです。かって産業革命後近代社会ではブルジョワとプロレタリアに分けられました。前者は有産階級で後者は無産階級と呼ばれました。
この場合の「産」は「財産」・「資産」のことでしょう。資産を持っている人は有産階級・持っていない人は無産階級と言うことになるのでしょう。
たとえば、最近のブログを見ると、既得権益者と権益を持たない人との差について書かれた者が多いです。現代ではかってはプロレタリアに相当した「年金受給者」や「下級公務員」、さらには「生活保護受給者」まで既得権益者側に分類され非難されています。
また大企業正規従業員も現場作業職も事務職も全て既得権益者側に分類されます。かっては、大企業正規雇用であっても、現場作業職はプロレタリアに分類されました。逆に商店主や大規模農地所有者もかってはブルジュアだったのに、今ではそうとはならないようです。大手スーパーが進出すれば、大きな商店でも倒産します。
つまりネオブルジュアとは長期安定的経済が保障されている人、ネオプロレタリアとは長期安定的経済が保障されていない人と言うことができるでしょう。ブログで既得権益者を激しく非難している理由も良く分かります。ちょうどプロレタリアがブルジュアを激しく非難したのに比べることができるでしょう。
逆説的ですが、全ての既得権益を取り去った時、恐ろしいほどの混乱と貧困がやってくるでしょう。生活保護も年金も雇用の安定も全て失われ、全てが自由競争と実力主義になった時、生き残れる人間がどのくらいいるのでしょうか。
かく言うおじさんも、もし年金が0になったら、10年もたたずホームレスになるでしょう。2500万人近い高齢者のうち生き残れるのは1万人くらいでしょう。1月15万円の生活費として1年で180万円、10年で1800万円です。60歳で定年後、何の収入(年金)もなければ、2000万円以上持たないと70歳まで生き残れないのです。
まあなるようにしかならないのでしょう。明日は教会です。順番で司式をします。