新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

テレビの思い出

今日も夏日でした。今日は久しぶりに近くの繁華街に出かけました。おじさんの街には2つ繁華街があります。今日行ったのは、おじさんの家からバスで30分くらいのところにあります。高度成長期には土曜日などは大勢の人が買い物にでかけていたのですが、今はぱらぱらと人がいるだけです。

 と言っても、おじさんの近くでは最大の書店があるので時々でかけています。対韓国についてはスワップ協定の見直しなどかなり踏み込んだ政策をとるようです。韓国については、中国ほど大国ではないので、それで良いと思います。

 中国については弱腰との意見も多いのですが、中国の軍事力や経済力を考える時そんなに強硬な政策をとることはできないでしょう。自民党などは政府を非難をしていますが、今政権が自公であってもできることは限られるでしょう。

 まあそんなお堅いことは、アゴラやブロゴスなどのサイトに任せて、おじさんの方は軽いテーマにします。今、朝ドラの「梅ちゃん先生」ではテレビが話題になっています。おじさんたち団塊の世代にとってテレビは本当に思い出深いものです。

 おじさんが始めてテレビを見たのは電気店の店先でした。もちろん白黒テレビです。昭和30年代の始め頃でした。その後おじさんの住んでいた街の高校が甲子園に出たので、近くの公園に先述した電気店がテレビを設置しました。その高校が出場する試合を公園で応援しました。

 その後、おじさんの近所で一番のお金持ちの米屋さんが真っ先にテレビを買いました。この米屋さんは、自動車を真っ先に買ったものです。(配達用)それで、大相撲の千秋楽など、近所の人が集まってテレビを見ていました。

 おじさんたち兄弟も是非テレビがほしいと思いました。それで兄弟でお小遣いをためて、親にそれを出してテレビをねだりました。そしておじさんが小学校5年生の時とうとうテレビが来ました。昭和34年くらいです。ちょうどテレビが来た時は夏期学校でいなかったのですが、帰って家にテレビがあるのを見て本当にうれしかったです。

 しばらくは、兄弟でテレビをみがいていました。テレビを買ってもらった時は、大学に合格した時や、結婚した時と同じくらいうれしかったです。当時テレビ局も少なく、午後2時くらいから5時くらいまではやっていませんでした。もちろん夜も11時くらいで終わりだったと思います。

 思い出に残る番組は「アウターゾーン」という不思議な世界の話です。現代で言えば「世にも不思議な物語」に近いです。今はなくなりましたが、NHKで午後6時から「ちろりん村とくるみの木」と言うのをやっていました。この子供向きドラマは「ぷりんぷりん物語」とか「ひょっこりひょうたん島」とか「里見八犬伝」とか見ました。

 そう言えば、当時「てなもんや三度笠」が大人気でした。テレビは最初「電気紙芝居」などと揶揄されたのですが、現代の隆盛を得ました。子供が大きくなる頃は「ドリフターズの全員集合」がはやっていました。この番組は俗悪番組として非難された記憶もあります。

 平成に入った頃からだんだんテレビも見なくなりました。定年後また暇になったのでテレビを見るようになりました。好きな番組は「お宝鑑定団」や「秘密のケンミンショー」などです。民放は前記の番組くらいで後はNHK特集などです。

 おじさんたち世代にとって、おふざけ番組や芸能人番組やり硬派のNHK特集の方が興味深いです。最近はBS番組も良く見ます。中国にいたので、中国の地理や観光番組もなつかしく見ています。

 明日は教会です。